中尾中也のショートミステリー(エロ系ではありません)
[1] 面接試験
(SFショートショート)

これまでにない就職難であった。

たまに募集する会社があっても、応募者が殺到し、俺はいつも落ちてばかりいた。三流大学の俺など、はじめの書類選考ではねられてしまうことのほうが多かった。
 俺は、もう就職など夢のまた夢のような気さえしていた。

 ところが、そんなある日のこと・・・。 ぶらぶら街を歩いていると、求人広告のビラがふと目にとまった。それはパ−ト募集のビラのように電信柱に貼ってあったのだ。会社名は、SMCとなっている。聞いたこともない会社であった。外資系の怪しげな会社のように思えた。しかし、いまの俺には、無名だろうが、どんな会社だろうが問題ではなかった。ともかくも、どこかにもぐり込みたいというのが、俺の今の切迫した気持だった。見ると、待遇はずばぬけていい。それに願ってもないことには、試験は面接のみとなっている。苦手な筆記がないというのだ。俺の心は躍った。でもでも……うまい話は二度考えよ、というコトワザがあるからナ……。と俺は自分にいいきかせた。だが、受けるだけは受けてみよう……いかがわしい会社だったら決まってから断わればいいじゃないか、と俺は思った。・・・早速、その会社へ電話してみた。

「おたくの会社を受けたいのですが……」受話器に出たのは、社長と名乗る男だった。社長は、俺の名前と自宅の電話番号だけをぶっきらぼうに訊ねた。素直に俺は答えた。すると、急に愛想のいい声が返ってきた。
「ほう、道尾進とはお名前がいいですな、気に入りました。面接を許可します。早速ですが、明日午前十時までに来社して下さい。十時ですよ、いいですね……それでは、お待ちしております」
「あのう、おたくの会社は、どんな?」「それは、面接のときに詳しく説明します」社長は、低く抑揚のない声でいった。
「ああ、それから……」受話器が置かれる気配に、俺はあわてて訊ねた。
「そちらの場所なんですが、どう行ったら……?」

 求人ビラには、どういうわけか住所が書いてなかったのである。
「場所かね……」含み笑いが伝わってきた。

 答えは、すぐには返ってこなかった。少し間をおいてから、社長は低く呟くようにいった。
「わが社はS市のほぼ中央部、Y線のZ駅で降りて、北北東を見ると、血のような赤い三角ビルが見える……そこの最上階だ。Z駅から早い人で十分、遅い人で一時間ぐらいですかな……」

 社長は、それだけいうと不意に電話を切った。道順を少しは訊いておこうと思ったのに。まあ、いい、道順などその辺で訊けば何とかなるだろう・・・俺は、そう思った。
 じつは、それが大きな間違いであった。

 まず、Z駅へ行くのさえ容易ではなかったのである。隣県のそのS市は、話には聞いていたが、恐しいばかりに電車網が複雑だった。Y線をはじめ、J線、G線、H線、F線、K線などなど絡み合うように走っている。どこでどう乗り継いだらいいのか、さっぱり判らない。はじめ俺は、とんでもない方向へ行ってしまった。

 やっとの思いで、Z駅に降り立ったときには、約束の十時まで、あと四十分もなかった。「遅い人で一時間・・・」という社長のことばが脳裏をかすめて、俺は早くも焦りを覚えた。

(さあ、血のような三角ビルだ……)

 俺は、あたりを、きょろきょろと見渡した。

 あった、あった! たしかに真っ赤な三角柱のビルが、はるか向こうにそびえ立っている。しかし、そこへどう歩いて行ったらいいのか・・・? とにかく、そのビルめがけて、俺は足早に歩き出した。ところが、ところが……おかしなことに近づこう近づこうとすればするほどそのその赤いビルは遠ざかっていくのだ!

 これは、どういうことだ!

 俺は、交差点の処で、ぼんやりつっ立っている通行人に訊ねてみた。
「ああ、あのビルなら、そこの緑のビルの横を左に曲がって、信号三つ目を右へどんどん行けば、目の前に出ますよ」
 ひとのよさそうな男は、そう教えてくれた。礼をいって、俺はすぐに駆け出した。

 が、通行人の教えてくれたように行ってもその赤いビルは、やはり遠ざかる一方なのだった。あの中年男め、ウソをいったのだろうか?
 今度は、路地の角で、昼間から屋台を出している、髭面の妙な占い師に訊ねてみた。

「ああ、あの赤いビルね……さっきから、もう何人もの若いひとが訊きにきたけどね。あんた、あそこに行くには、ちと難しいよ。コツがいるんだ」
「そのコツとやらを教えてくれませんか、急いでいるんです」俺は気負い込んでいった。

「ただで教えるわけにはいかんよ。何しろ極秘のコツだからね。五千円いただきますよ。それでよろしければ……」
 ガメツイ占い師である。俺は、そのときはワラをもつかむ気持だったので、仕方なく渋渋五千円を支払って訊くことにした。占い師は金を受取ると、急に相好をくずし、喋り始めた。

「あの赤いビルはだね……不思議なビルでね、あれをただ目ざして近づこう近づこうとすると逆に遠ざかっちまうんだよ」
「ええ、確かにそうです」
「だからだね……つまり、その反対をやればいいわけさ」
「反対?」
「そう……まず、あの赤い三角ビルが見えてくるはずだ。

やがて、左手に青い三角ビルが見えてくるはずだ。

そのビルは赤いビルより実際は近くにあるのだが、見た目には赤いビルより遠くあるように見える。

それは色相の波長が赤は長く、青は短いからだ。

波長が長いと遠くに見え、短いと近くに見える……まあ、目の錯覚だがね。それからが問題なんだ。

いいかね、その遠くに見える青い三角ビルが、それより近くに見える赤い三角ビルを隠してしまう地点にぶつかる

んだ……その瞬間が大事なんだ。

その時を見逃したらすべてはパ−だ。その重なった時、二つのビルは色の混合を起こし、一つの紫の三角ビルに見
えるはずだよ。

……さて、それからが、また難しい。今度は、重なった状態、つまり紫の三角ビルに見える状態で、路地を左に折
れ、北北東へ向って、まっすぐに歩きつづけるんだ。

三角ビルが青か赤に見えだしたら、もう駄目だ。

紫の状態で、どんどん進むことができれば、必ずあの赤い血のような三角ビルに到達するよ」

 青ざめた陰険な顔つきをした占い師は、髭をなでながら一語一語切るようにいった。
 狐につままれたような気分だったが、しめた、と思った。俺は占い師のいう通りに、まず、大通りをまっすぐに歩き始めた。

 しかし……重なるはずの青い三角ビルなんて、どこにも見当らない……。

 あの占い師め! もっともらしい、いいかげんなことを言いやがったな!

 でも、待てよ。きょうは、雲ひとつない快晴で、空は抜けるように青い。だから、青いビルは青空にすい込まれて見えにくいのかもしれないゾ。・・・俺はそう思って、再び大通りを駆け出した。そして俺は、何度も大通りを行きつ戻りつしたものだ。
 だが、どうしても俺は、青い三角ビルを見い出すことはできなかった。きょうが曇り空だったら、何なく見つけ出せたのだろうか?それとも、やはり、あの占い師のいったことはインチキだったのだろうか?

 時計を見ると、約束の十時まで、あと20分余りしか残っていなかった。「早い人で十分」という社長のことばを思い出して、俺は、焦りに焦った。
 そうだ、こうなったらタクシ−はないか、と思ってあたりを見渡してみたが、ここS市では電車が網の目のように張りめぐらされているせいか、一台も走っていないのだった。

 そのとき、ふと俺は、会社へ電話して道順を訊いてみようと思い当った。なんで俺は、こんなことに早く気づかなかったのだろう。俺は近くの赤電話に走った。そして、あわててダイヤルに指を当てた。焦りすぎて、数回、ダイヤルの穴から指先がこぼれた。
 やっと電話が通じたと思ったら、運悪く、話し中であった。俺は何度も掛け直してみたが、どういうわけか、やはり話し中なのであった。応募者が、みな俺みたいに行き詰まって電話しているせいだろうか?
 咄嗟に時計を見ると、すでに十時まであと五分であった。もう駄目だ。そう思うと、どっと疲れが出て、腹が立った。
 なんともシャクである。あのクソ占い師を怒鳴りつけて、金を返してもらおうと思ってもとの所まで戻ってみたが、そのときには、もはや占い師の姿はなかった。

 畜生! いまいましい!

 どうせ、ここまで来たのだ。遅れても、行くだけ行ってみよう。お情けで受付けてくれるかもしれない。俺はそう思って、再び、赤い三角ビルへと駆け出した。
 しかし、何としても、俺はそこへたどり着くことができなかったのである。
 俺は、完全に面接をあきらめ、舌打ちした。

 何んてこった! あそこに見えていて行きつけないなんて! この街は、幾何学的におかしな構造になっているのだろうか?

 それとも……ひょっとすると……あんな会社はないのかもしれないゾ……あの赤い三角ビルは、空中に大スクリ−ンでも仕掛けて映し出した仮空のビルかもしれない……多分、俺は騙されたのだ。 俺は、今まであんな会社、聞いたこともない。イタズラ求人広告だったに違いない。

 しょんぼり家に帰って、数日たってからだった。俺に、SMCの社長から電話がかかってきた。あの会社は存在していたのだ!
 社長は、にこやかな声でこういった。

「このたびは、わが社に応募いただき、本当にありがとう。常識を越えた応募者があったんだが、道尾進君、きみ一人が採用内定と決まったよ」
 俺には信じられなかった。
「そちらへ到着できなかったのに、どういうわけですか?」
 疑問に思って訊ねると、

「そう思うのも無理ないだろうが……」
 当然だという口ぶりで呟き、少し間をおいてから言葉をつづけた。

「じつはな、わが社は、S市の地理が複雑怪奇なのに目をつけて、最近設立したばかりのS市専門、特殊明細地図会社でな……正式社名を<S市マップカンパニ−>という……略して<SMC>だ。 すでに六名の社員がおるが、出発に当って一名募集することになったわけでな……それで君が……」

「はあ、でもなぜ私が……」

「ふうむ、まだ判らんようだな。説明しよう。わが社としては、地理感覚にむしろ鈍い人、つまりだな、方向音痴の人を求めていたんだよ。この意味判るかね?」
「う−ん、そうですか」
「要するにだ、地図を見る人は方向音痴、だから地図を買うわけだろう、そうじゃないかね?」
「なるほど、なるほど……」俺は、頷いた。

「やっと判ったようだな。……君をのぞくすべての応募者は、みな、規定時刻までに到着した……だから不合格としたのだ。君だけはわが社をめざして悪戦苦闘、ついに断念して帰られた……まれにみる方向音痴といっていいだろう……君はS市独特の超次元的複雑怪奇な街をさまよい、つよく、S市の現状を認識されたと思う……」

「どうして、それが判るんですか。到着できなかったということは、S市に行かなかったということだって考えられるじゃないですか」
「ちゃんと街の中で見ておったのだよ」
 俺はハッと気がついた。

「それでは、あの占い師や通行人は……」
「そうさ。通行人は、わが社の社員、占い師は、この私さ……。ヒントを与えたつもりだったのだが」
 社長は愉快そうに笑った。

「いやあ、判りませんでしたよ。第一、赤い三角ビルに重なるという青い三角ビルが見当らなくて……」

「青い三角ビルは、他の色々なビルと重なるので、見えるのは、ほんの一瞬なんだよ。……まあ、S市はおかしな街でね、あの街には超幾何学的な立体地図が必要なんだ……それをつくるために、わが社は生まれた。……その初代の<地図づくり社員>として、君にも参加してもらおうと……」

「はあ、そうですか」まだ夢をみているような気分だった。
「むろん、わが社へ来てくれるんだろうね」
「ええ、それは、もちろん、ありがとうございます」

「では、早速だが、明日の午前十時、これはあくまで形式的なものだが、採用を前提とした面接を行ないたいと思うんで、お越し願いたい」そう言われて背筋が冷たくなった。
「とても自力では、そちらへ行けそうもないですよ。もう、あの苦しみはゴメンです」

「判ってます。今度は、こちらからお宅までクルマでお迎えにあがりますよ」

「それは恐縮ですが……」

「それで、君の住所はどこかね?」

「はあ、となりの県のR市なんですが、やはり非常に判りにくい街でして……。来て頂けますかどうか……」                                      (了)