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■ ヘンタイ・ロード(1)-1 | Date: 2003-04-18 (Fri) |
プロローグ 初めての風俗レポート
風俗が苦手な理由
ども、ライターの下関マグロっす。これはまで風俗というものにはあまり縁が
なかったんだけど、この原稿依頼を受けてがんがん取材しようと思っている
ぞぉ。って、風俗に縁がなかったって言うと意外に思う人がいるかもしれない。
実はオレ、エロライターなんだけれども風俗の取材はほとんどしてこなかった。
ところが、世間からは誤解されているようで、毎年のように年末近くになると週
刊誌の記者から
「マグロさんの今年の風俗嬢ベスト3を教えてください」
といった電話がかかってくる。今年のベスト3と言われても生涯で3度しか風俗に
行ってもとないよ、と答えると「えっ、そうなんですか」といかにも意外だとい
うような反応が返ってくる。そうなのだこれまでのオレは風俗はほとんどといっ
ていいほど知らなかった。しかし、この「野望の帝国」さんから原稿依頼を受け
て、風俗へ取材に行くことになったのである。
風俗取材の話をする前にオレ自身がこれまで行った風俗についてざっと記してお
こう。実のところ何が風俗かは分からないのかだけれどもとりあえず自分自身の
身のまわりで風俗というものを実感したのは19歳のときであった。オレは大学受
験に失敗し、山口県の高校があったのだけれども広島市で予備校生活を送ること
になった。
同じ高校からきているTとオレは同じ寮であった。高校のころはさほど親しい仲
ではなかったのだけれども知らない人間ばかりの寮では、Tとは親しくなったの
は自然のなりゆきだっただろう。このTという男はとっても変わった奴で、朝ご
はんのときに寮母さんの目を盗んで握り飯を作っているのだ。飯はまずかったが
ご飯は何杯食べてもよかったのだ。
「おまえ、なにやっちょるんじゃ」
と聞けば、昼飯なのだと答えた。とにかくTはケチで毎月少しずつ仕送りの残
りなどをためている様子だった。
「何のために貯めるんかい」
と聞けば、
「オレまだ童貞じゃけぇ、トルコ風呂に行きたいのいや」
何せまだソープランドという名前はなかった。トルコ政府からの抗議でこの名
称が変更されたのは1983年、オレが大学を卒業して上京したところだと思う。と
にかくTは夏休みまでになんとかトルコ風呂にいくことができた。Tは結婚する
までに素人とは絶対にセックスしないという考えの持ち主だった。夏休みを終え
て、Tは部屋に集まった寮生たちにソープランドの様子を自慢して話したもの
だ。今でも思い出すのはTが
「シックスナインちゅうのをやってくれて、もうあそこが目の前に迫ってくるん
よ。そりゃもう迫力じゃったぞ」
というフレーズ。まだ童貞だったオレたちは生唾を飲みながら彼の話に聞き
入った。ただし、オレは彼をうらやましいとは思わなかった。なぜだろうか。そ
のころから風俗にはあまり興味がなかったのかもしれない。
1年浪人して、大阪にある5流大学に入学したオレが興味を持ったのはビニ本で
あった。最近の若い人はビニ本を知らない人も多いと思うので、少し説明してお
こう。今から考えいると、おとなしいものなのだが、エロ写真集とでも言えばい
いだろうか。普通、それまでのエロ本は本屋で立ち読みができたけれども、それ
ができないようにビニールで覆われているのだ。客は表紙と裏表紙を見て本を購
入する。オレはこれにけっこうはまってかなりの金を使ってしまった。
それから、これは風俗といえるかどうかわからないけれども、当時ビニ本同様に
新しい風俗として登場した「ノーパン喫茶」である。雑誌でこの記事を見て絶対
に行きたいと思った。これも今ではなくなってしまったものだから知らない人も
多いだろう。大阪にある「あべのスキャンダル」という店が最初だったと思う。
記事によればウエイトレスの女の子がスカートの下に何も入っていなくてノーパ
ンでコーヒーを持ってきてくれる喫茶店だと書かれていた。とにかくオレはここ
に行きたくて、友達も少なかったのだけれどもひとりで行くわけにもいかず、同
じゼミの同級生を誘ってこの店に行った。雑誌に載っていた地図を頼りにやっと
探し当てて入り口まできたら、やはり同年代の大学生らしい3人組が店から出て
きた。彼らは顔を見合ってニヤニヤと笑っているではないか。そんなに笑いが漏
れてしまう場所なのかと思って中に入ってみたがすぐにその理由は分かった。確
かにこれは笑ってしまう。ノーパンどころか、全裸の女の子がいっぱいいるの
だ。女の子の体に触ったりすることはNGなのだが、とにかくいいような空間
だったように思う。喫茶店でウエイトレスを見る感覚だから、ストリップのよう
に客席とステージではなくて、かなり近い存在に裸の女の子がいた。その後、
ノーパン喫茶はかなりのブームになり、あちらこちらにできたのだが、数年で消
えてしまった。一説には女の子のギャラが高くなりすぎたのが、なくなった理由
だったといわれているが、本当のことはよくわからない。
同じような風俗としてはその後、ランジェリーパブ、通称「ランパブ」なるもの
ができたが、そちらはあまり行きたいとは思わなかった。パブというくらいだか
らお酒を飲む場所なのってある。もともとオレは酒が飲めないのでむしろコー
ヒーを飲む喫茶店の方がよかったのかもしれない。
初めてのソープランド
大学の4回生の時(大阪の大学をどういうわけか1年生2年生ではなく1回生、2回
生改という)、友達のSにトルコ風呂に行かないかと誘われた。Sは顔の青白い、
薄い無精ひげを生やしたと男だった。どこか仙人のようなところがあり、無口で
暗く、同じクラスに友達などいなかった。オレとて仲がよかったわけではないの
だが、それでもおとこいうほかのやつがよりはたまに話をしていた。そのSが夏
休み明けにいきなり「今度の土曜日、雄琴いけへんか?」と言うのである。雄琴
というのは関西地区にあるソープランド地帯である。オレは即座に断った。
「なんでや、なんでいけへんのや」
Sは食い下がってきた。オレはあまり気がすまなかったのだけれども断る理由と
して
「金がないからや」
と言った。これも事実である。するとSは
「ほんなら、オレがおごったるわ」
とS。雄琴はオレらのいる南大阪からはかなり離れていた。日帰りもできなく
はないのだけれども旅館に泊まってから行くことになった。Sはその交通費、旅
館代、お風呂代のすべてを出してくれた。もう20年以上も前のことで、今から考
えればかなり風情があったようだ気がする。雄琴周辺にはいくつもの安い旅館が
あった。オレらが入ったのは木造の2階建ての古い旅館で、クーラーなどはなく
窓を開け放して風を入れていた。窓の下は川が流れていて、涼しい風が入ってく
る。そしてその後の向こうにはまぶしいほどのネオンがチカチカついていた。オ
レらはそのネオンを見ながら夕食をとった。初老の女将がお酒はどうしますかと
聞く。オレおごりだからとばかりにビールを注文した。Sは「そんなん飲んでた
らでけへんで」と言い、酒は飲まなかった。
夕食を終えて、オレらは橋を渡りネオンの中止に向かって歩き始めた。酒の弱い
オレがビールを1本飲んでしまったため顔が火照ってしょうがなかった。今から
考えてみればい予約などまったくせずにとにかくぶらぶら歩いてSが良さそうだ
と思う店に入った。
オレの初めてソープランド(当時はトルコ風呂と呼ばれていたが)体験である。
個室に通されて、対面した女性はたぶんオレより3つ4つ年上の女性だった。
「きょうは、友達の付き添いだからいいよ」
と言ったのだが、
「何言ってるのよ、さあ脱いで」
とその女性は言う。顔をよく見ると色白でなかなかかわいい。目がくりっとし
て、髪の毛は長く、肩までのストレートだった。
「それじゃお風呂だけでも入らせてもらおうかなぁ」
とは言うものの入り口のところで突っ立ったままのオレに彼女は
「こういうところに来るの初めて?」
と聞いた。
「そ、そうなんだけど」
しどろもどろになるオレ。
「とにかく脱いで」
そう言われてやっとゆっくり服を脱ぎ始める。しかし、どうにもパンツだけは
脱げない。
「恥ずかしいの?」
お姉さんはそう言いながらオレのパンツを降ろした。今でもそうだけれども、
オレは女性の前に出ると緊張してしまう。裸の女性を見ても、ちんちんが臨戦態
勢にならず、むしろこれでもかというぐらいグニャグニャになってしまう。この
ときもそうだった。結局風呂にだけ入り、お姉さんと少しお話しをした。
「出すんだったら先に出しておいた方がいいよ」
とお姉さんはオレのちんちんをつかむのだけれども相変わらずのグニャグニャ
である。
「お酒飲みすぎちゃったんじゃないの」
若いわりにすっかり平身低頭しているおチンチンを触りながらそう言った。しか
しオレはもうどうでもいいやという気持ちになってしまう。これも今も変わらな
い。それからオレはこのお姉さんと話をして、この人のことはとても好きになっ
てしまった。お時間が来て何もせずにお別れすることになったのだけれどもとに
かく名残惜しかった。
これも今と変わらないのだけれどもオレはまるで「フーテンの寅さん」のように
美人を見るとすぐに恋をしてしまう。これが最大のオレが風俗にいかない理由か
もしれない。風俗嬢に恋いしてしまうと金がいくらあっても大変なことになるの
ではないかと思った。だから自らを遠ざけているようなところもある。
友達同士とこういう場所に来て、しかも泊まりがけというのは実に楽しかった。
お互いに「どうだった?」と布団に入ってからもあれこれしゃべったのを覚えて
いる。そして心地よい疲労感とともにいつともなく眠りについた。
風俗嬢とはお友達でいたい!
大学を5年で卒業し、オレは上京した。就職先が決まっていたわけではなく、
求人誌を見てオレはエロ本の出版社に就職した。そこで知り合ったフリーライ
ターのTさんとオレをよく遊んだものだ。Tさんは風俗ライターで風俗嬢の友達
がたくさんいた。ある日の夜、もう寝ようかと思っていたところにTさんから電
話があった。どうやらオレの家の近所の風俗嬢のうちに集まってみんなで飲み会
をやっていると言う。
すぐに自転車で出かけたのだけれどもなかなか場所わからず、かなり遅れて教
えられた家の前に到着した。玄関のチャイムをそうとするといきなりTさんが出
てきた。
「遅いよ、オレはもう帰るところなんだから」
酒で酔っ払ってフラフラしたTさんがそう言いながらバイクに乗って帰って
いった。中に入るとその部屋の住人であるお姉さんが出てきた。
「これを飲まなきゃあがらせないよ」
白い錠剤とコップに注がれたビールを渡された。とにかくそれを一気に飲んで部
屋の中に入ったのを覚えている。部屋の中には女性ばかりである。部屋の主の女
性は30ぐらいの美人だった。美人だと言ったら整形だと言われたのをよく覚えて
いる。テーブルの上には見たこともないような豪華な刺し身の盛り合わせがあっ
た。なんでも泥棒に入られて(これが2度目だそうだ)ゲン直しするために飲み
会を開いているのだと彼女は言った。部屋の中にいた数名の女性は全員がソープ
嬢だったそうだ。と、覚えているのはここまでで、それから部屋がぐるぐる回り
出して、なんだかいい気持ちになり、記憶が飛んでいるのである。気がつううく
とオレは全裸にされて、仰向けになっていた。何人かいたお姉さんたちも誰もい
なくなり、部屋の主である女性が裸でオレの上にまたがっていた。 とにかくこ
のときの経験がその後の多くの性的指向にかなりの影響を与えていたと思う。