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風俗情報


  エロ業界Q&A(11) Date: 2004-01-07 (Wed) 
【ご質問】
「オンナはオトコのように不特定多数のオトコたちとSEXしたい、という願望はあるのですか? また、オンナは日常生活の中でセックスを感じているのでしょうか?」(金子真一郎)

【ご質問に対するお答え】
 「人によります」というと全部のご質問にあてはまってしまうので(笑)、この言い方は避けますが、不特定多数というよりも、「痛いのは嫌や」だけど、色んな人としてみたいというのは、今の女性の多くが(男のように願望にまでは至っていませんが)、「否定」はしない状況になってきているのではないでしょうか。特に20才を過ぎて、平均すれば20〜10人くらいの男性経験を得た女性は、まだまだ落ちつきたくはなくって、男に対する目も肥えてきてはいるけれども、慎重に自分が選んだと確信できる相手なら、少なくも「数」は関係ないんじゃないですか。短い恋愛、長い恋愛、割り切っているコなら、セフレもある程度・・・・みたいな。これはもちろん厳密には「不特定多数」とはいいませんし、そういう言われ方を嫌うコが多いですが、若いうちは、ま、それに近いことをやっているような状態に、筆者には見えます(笑)。

 問題はそれよりも、女性が数多くの男性を体験すればするほど、あるいは淫らさを隠さない生き方をすればするほど、尻軽女とか淫乱女とか、もっと汚い言葉の「女便所」とか「共同トイレ」とか、男や社会が実際にそういう言い方をし、そういう目でしか見ない風潮の方が、問題ではないですか。筆者は別に女性たちやフェミニストに媚を売ってこんな話をしているわけではないですよ。筆者は、男女ともに、異性経験数が多ければ、それに超したことはないと考えています。もちろん「数」ではなく「質」なので、数が多いから多くを学べるわけでもないし、少ないから何も得てないというわけでもありません。でも人間は不完全だから、やっぱりある程度数をこなして、何かを「思い知る」(笑)わけです。それがなにか? も、また、多様でしょう。それでも何かを「思い知る」(思い知るというと通例は、反対語の「思い知らせる」も同じですが、なにか相手に強烈なダメージを与えて思い知らせるというような、激情的ないし暴力的なニュアンスで使われますが、筆者のいう「思い知る」は、なるほどと身にしみてシミジミ感じるというソフトな意味です)ために、人間は生きているようなものではありませんか。それだったらその体験は多く積んだ方がいいわけで、セックスも例外ではありません。それなのに、女性だけがそれをすると「不当に」偏見の目で見られるというのは、どっか間違っていると思うんですよ。あと、女性たちみながそうなった方が、男にとっても都合いいし(爆)。そこで筆者なりの結論をいうと、女性たちも(不特定ではないが)多数の男たちとSEXしたいという(願望ではなく、そういう)考えを「否定」はしないということですね、繰り返しにはなりましたが。あとは男の方の(そういう女性の)見分け方の問題で、これは生意気いうようですが、「知性」なんかの問題になってくるんじゃないでしょうか。「女」を売っているからといって、そう見た目ほど尻軽でもないし、知的に見える女でも、プライドと打算ばかりで、バカ男に引っかかるだけの人生を繰り返している女もいるわけだし。あと、その人の「性」に対するケジメとか基準。当たり前の話ですが、筆者は早大レイプのあの事件などを見てると、(薬を飲まされたりして非のない気の毒な被害者もいますが)あれを「やりサー」だと見抜けなかった女と、あの「やりサー」を楽しんだ女たちは、やっぱりバカだと思うし、といって、石田純一がかつて言ったような「不倫は文化」だとも思わない。多数セックスや複数セックスを肯定しておきながら、早大レイプはれっきとした「犯罪」で不倫は犯罪ではないけれども、必ず家族の中に悲しむ者が出るという一点で、筆者は認めていません。しかし、そうでない場合の「合意」の性なら(恋愛という型にはめずに)どんどんやりなさい、と。筆者の場合は特に、「成人」及び「合意」なら、お金の介在する関係も、これに含めてあります。そして恐らく、この点のみが、社会の道徳とは大きくズレる点でしょう。逆にいえばかように、性に対するケジメとか基準は、人によってバラバラだと思います。恋愛なんかは、たぶん、それのぶつかり合いでしょう、きっと。気持の「合意」を肉体でスリ合わせ、互いのケジメや基準を近づけていく行為。ケジメや基準が合わなければ初めから恋愛は成り立たないし、ケジメや基準を破れば、恋愛は自ずと破綻していきます。

 オンナは日常生活の中でもセックスを感じているのでしょうか? この「日常生活の中」というのが、難しかったなぁ!(爆)。もちろん、どういう意味かも基本的にまだ分からないのですが、言葉通りにとれば、むしろ日常生活の中で、女性はセックスを(男より)リアルに感じているから、ムッツリ何とかという意味では、「女の方がスケベだよ」と自ら証言したキャバ嬢を、筆者は何人も知っています。これも文字通りにとれば、逆に確かに男が日々抱く性的妄想を、(あるいはポルノそのものを)「ファンタジー」(笑)とかいいますが、男の妄想なるものが、非現実的でまた、ヒジョ〜に単純(というより、殆ど幼稚・笑)であることを、女たちは単純に見抜いていると筆者は思っています。男は相手が看護婦さんだったり、学校の女教師だったり、(いつも筆者は笑っちゃうけど)メイドさんだったりしても抜けますが、女は相手が医者だったり、弁護士だったり、大企業の社長さんだったりしても、絶対に一人Hはしません! もしするとすれば、それは自ら上記の男(たち)と実際に体験(それもいい思いをしたいいHの体験を)した女性なら、するかもしれません。もちろん体験も多様化、従って空想や妄想も多様化しているので、中には男の単純な性世界を男と同じように空想しながら一人Hなどにひたる女性もいるでしょうが、昨今、一人Hはしたことがなかったり、一人Hをする暇さえないくらい、男との実体験を積んだ女性が多くなって、空想して楽しんでいる暇があったらHやってます、みたいなコも増えて、そういう意味では、現実主義、行動主義化しているのではないでしょうか。決して女性に空想力がなくなったとはいいませんが、男のような妄想を抱くぐらいなら、そんな想像力は彼女達には不要です(笑)。

 男が「日常生活」の中で、社会や女たちをスケベな目で見ているのと同じように、女たちは「日常生活」の中で、男のような感覚でいうSEXというものを、男のように感じていないのか? というようなことであるなら、感じてはいるだろうけど隠すのがうまく、また、モードの切り換えという点では、男は女の比ではありません。男は年中Hモードのようにみえますが、意外と、いざその場になるとけっこうモードの切り換えが下手で、逆に女性はいったんHモードになると、そうなるのも早いし、どんどんモードのテンションが上がるし、逆にちょっとしたことで一気に醒めてしまうといった感じがします。男の方が切り換えが下手で、醒めて既に別のモードに入っている女にトンチンカンなことを言ったり、未練たらしくまだおねだりしたり(笑)とか、けっこう変な事をしているのではないでしょうか。例えは違うけれども、セクハラなんかの思い込みも、だぶんこのTPOをわきまえないトンチンカン男がやるのでは、と筆者は推測しています。ストーカーなんかの思い込みは、これはもうセクハラを超えて、どんどん先走っている感じがします。男がモードの切り換えの下手な点が、こんなところにも表れているんじゃないでしょうか。女にも「日常生活」の中で(むしろ男よりリアルな)セックスを感じてはいるのでしょうが、これもありきたりの結論ですが、彼女たちにはモードというTPOを使いわける巧みな術(すべ)が備わっていて、男のように、頭を割ったら「24時間Hだらけ」とはなっていないと思いますが。筆者の書いたことが、的を得てない答えであるなら、金子さん、また、ご問い合わせください。

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