■エロ業界Q&A(36) | Date: 2004-06-04 (Fri) |
【ご質問】
私はフリーライターをしているマーク・コールマンというユダヤ人ですが、最近原稿の打ち切りが多く、ステロイドを打つ資金もない始末です。親愛なる先生には、おそらく原稿の打ち切りなど経験ないでしょうが、何かアドバイスが頂けたらと思い、筆をとりました。
【ご質問に対するお答え】
残念ながらマーク・コールマン氏の文章を拝見したことはないのですが、筆者にも5〜6回は途中打ち切りの経験があります。同じテーマばかり書いていた時期には、「マンネリ化している」と容赦なく打ち切りにされました。また編集者や担当者(窓口となる編集員)が退社してしまい、引き継ぎの問題か、新しい編集者の好みの問題かで、途中打ち切りになったという経験もあります。なお打ち切りではありませんが、増刊号用の飛び込み原稿が「没」になった回数も片手では済まないでしょう。これは(飛び込み原稿なので)資料不足であったり、筆者の苦手なテーマであったりして、明らかに自分でもつまらないと思いながら(笑)書いていたので、没になったのは必然かもしれません。また筆者は引用も多く、(引用雑誌のクレジットを入れていたのにも関わらず)無断流用のクレームが付いて、お詫びを入れるハメになったこともあります。つまるところ、フリーライターとは、打ち切りや没の恐怖と常に背中合わせで生きていかなければならない職業なのです。これはもう「忍」の一文字ですね。真性M女、笠木忍って感じです。 筆者はステロイドの使用経験はないのですが、マーク・コールマン氏にとっては死活問題なのですね? しかし筆者も長いフリーライター生活の中で、原稿料が18〜35万と不安定な生活を送ってきました。まあ18万という低い原稿料の頃は、校正の副業などで多少は補っていましたが。実際、原稿料だけで生活をしているフリーライターは数少ないと思います。原稿料だけで生活しているフリーライターというのは、どこかの編集部の(ほぼ)専属であったり、編集プロダクションの所属であったりと、まったくの一匹狼ではありません。もちろん本物の一匹狼だって存在しますが、日本中を探しても10指に満たないのではないでしょうか。筆者もコアマガジン、三和出版、東京三世社、大洋図書、KKベストセラーズの5社にお世話になっております。 とはいいましても、いつ、どこで、何をテーマに書こうとも、同じ姿勢で、自分のカラーを打ち出すことが重要なのではないかと思います。この業界に長く居座りつづける諸先輩方は、やはり読者の心を掴んで放さない自分だけの武器を持っているのでしょう。もちろんファンの数が増えるだけ、アンチファンも増えるのでしょうが。ライターとしての才能があるかないかではなく、自分の「想い」がどれだけあるか、ということの方が大切だと思います。表面的な自己顕示欲ではなく、戦争や暴力への徹底した批判や、マイノリティーの認知、脱権力といった、その人の大元というか、根源に関わるような強い想いがあれば、全然関係ないテーマを書いていても、その人の人生が反映されるような文章を書くことができるのではないかと思われます。それがライターの真の仕事なのではないでしょうか。 マーク・コールマン氏はユダヤの方とのことですから、恐らく筆者よりも差別や偏見に敏感であるでしょうし、日本人とは異なった視点で物事を考えることができるのではないでしょうか。ディアスポラの歴史を生き抜いてきたアイデンティティーというのは、ネタの尽きている(笑)筆者などには、むしろ羨ましいくらいです。民族を語らずにひとりの人間として性風俗を見つめるならば、実は万国共通して結論は同じようなものになってしまうかもしれませんが、それでもマーク・コールマン氏なりの世界観で性風俗を見つめる
ことができるのではないでしょうか。例えば、日本のAVをユダヤ人はどう思っているのだろうか?など、筆者にはとても興味があるところです。どういった事情で原稿の打ち切りがなされているのか具体的には分かりませんが、フリーライターの取るべき姿勢は、自分の熱い思いを文章にすることしかないのです。あとはそういう視点に基づく原稿を求めている出版社があるかどうかという、運任せみたいなものなのです。黙っていても自然に原稿依頼が飛び込むこともあれば、食べるに困るほど打ち切りや休刊・廃刊が続くこともあります。まったく助言にはならないかもしれませんが、与えられた条件下でベストを尽くすしかないのです。 将来、自分の仕事が順調に行くかどうかも全く分からない状況の中で、運を天に任せるような「我慢」や「忍耐」を強いられるのは、本当に不安で辛いことです。筆者はお酒も飲めませんし、収入が少ないのでパチンコや性風俗で発散することもできません。そんなとき筆者が何をしているかといえば、資料集め(というより分類)でした。性と性犯罪に関する新聞の切り抜きをジャンル別に仕分けしたり、古本屋で性に関する資料的な本を収集したりという作業です。今でも、原稿を書く作業とこの資料の仕分け作業で1ヵ月などすぐに過ぎてしまいます。なお筆者は、直接原稿に関係のない記事も集めています。これは将来何かの役に立つだろうという計算が働いているわけではなく、新聞なら新聞の、その記事自体を楽しんでいるのです。人間とは何と馬鹿な生き物なんだろうとか、なんと残酷な生き物なんだろうとか考察することによって、つまり「新聞の切り抜き」によって筆者の人間形成がなされていっているといっても過言ではありません(笑)。TVでの報道もビデオやDVDに保存しているのですが、筆者にとっては新聞記事の方が想像力を書きたてられていいようです。 マーク・コールマン氏の参考になるようなアドバイスはついぞ思い浮かびませんでしたが、末筆として、筆者の心掛けを記しておきたいと思います。それは、これだけは書いておかなければならないというものが常に心の中にある状態、すなわち好奇心で心を満たしておくことが一番大切なのではないでしょうか。