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  平加門先生の人生相談(2)(相談者:金子真一郎)
私は俳優兼AV男優の観念絵夢こと金子真一郎と申します。

あるライターの身勝手な言動により、現在、私の業界生命が風前の灯火となる、生きるか死ぬかの瀬戸際にまで追い込まれております。
あるライターというのは、ベストセラー作家の中村敦彦氏で、根も葉もない、誹謗中傷によって、存亡の危機に立たされております。

そのことによって、私の方を持つ、某大手AVメーカー社長の逆鱗に触れ、告訴というところまで、持ち上がってきているのですが、まず、それは私自身に対する、名誉毀損そして業界で廃業にまで追い込まれることによる不当な営業妨害、おおまかにいってそういうところなのです。
しかし、それ以前に私としては、はらわたが煮えくりかえる位の怒り心頭なのはV&Rの大阪ロケで裏ネタとして、若干25歳のささき監督命令によるところの合法ドラッグを用いての連日のいわゆる撮影だったのですが、そこでなんとか苦しみながらも監督の意図に沿うような撮影を敢行しておりました。

ところが、私の肉体も精神も限界に達していた頃、私の不可抗力と申しましょうか、現場でのいき過ぎた行為により、あるプロダクションから現場へ派遣されて来た女優の生殖器に傷を与えてしまい、その場では何とか私も心からの謝罪・反省をし、丸く収まる形にはなったのですが、そのことについて、その直後ダクションからクレームの連絡があり、監督がまだ若輩であったこともあり、アドバイスを求められ、私もそれについては誠意を尽くせば事なきを得ることを彼に助言をし、その甲斐もあって、事態も収束の方向に向かい、事なきを得たのですが、そこで彼はこともあろうに、恩を仇で返すが如くに、その瞬間から私自身も事務所側に対して誠意を持って謝罪したいという、私の意向を踏みにじり、私を無視して事務所からの一方的な通達であった、私がNG男優に決定したということを鵜呑みにして、それをネタに私を非難中傷に陥れいれ、作品の中でも笑いものに仕立て、私が紹介したビデオ・ザ・ワールド誌の書面の中でも、それをずっと今回の作品で私がいかに愚かで馬鹿であるかということの証拠として事あるごとに物笑いのタネにまつりあげ、それが即ちこの作品の評価として決定づけられ、末永く業界でも私が業界追放もしくは廃業くらいの存亡の淵に立たされるくらいにまで、私を追い込み、私が15年活動してきて、少なくともこの業界で飯を食べてきた者として、食べていけないくらいの不安に掻き立てられたのは、私自身の止むに止まれぬ気持ちであります。
そしてまた、これも根も葉もないことなのですが、私がHIV、もしくは感染症であるなどと、雑誌等でも活字という本人への悪ふざけとしては後世に残る、決定的な場で暗に吹聴され、これは何を意味しているのか?お分かりになられますでしょうか?
それは即ち業界から抹殺されるということを意味しているのです。

折りしも15年目にして、ようやく身も心も心機一転、某メーカーからあらたなスタートを切ろうとしていた矢先のことであります。
それも今回のことも含めてそのことの真相・真意も知らずして、まるで自らが生きながらえる為に他人の生き血を啜るダニの様な、その私の近作のまさに揚げ足を取って、根も歯もない誹謗中傷・馬事雑言を浴びせかけ、確かに私もそれも一つの芸のうちと思い、寛大な気持ちでいたのですが、彼らの自らの反省を省みない、身勝手な行為にさすがの私も今回こそは、一応吹聴されてきたことなのですが、これぞまさしく、積もり積もったものが、まさに積年の大怨。はらわたがぶち切れそうな思いなのです。
この人知れず悩みを抱えて毎日を過ごしている私のことを内情を察して頂けるでしょうか?
私にとって、懇願することは、世界中の少しでも多くの悲しみを救うことです。
そうした、世界の悲しみにとって、Sとか、Mとかはどうでもいい、形骸化されたことです。
要は、人類がそうした悲しみを経験していることです。

当サイトの三大テーマは欲望と精神(魂)と運命です。
我々の幸せな国の幸せな現代の面白おかしく楽しい日々日常など一過性のものです。
Mは快楽です。そうしたぬるま湯的な、生かさず殺さず的な快楽なら、葬り去ったほうがましです。喜怒哀楽より存在を根底から揺るがすのは恐怖です。本当の恐怖を前にして、人はなすすべがないのです。もっと、人は世界史を勉強すべきなのです。
戦後の民主主義はアメリカによってもたらされたものです。そうした民主主義も戦後50年にして、きしみ始めています。それは、ブッシュの横暴をみればあきらかです。

近代民主主義以前に人々の心からの苦しみ、悲しみ、痛みを救ったのは何であるのか、これは、宗教の勧誘でもなんでもないのです。私と一緒に考えてみませんか。

ちなみに、私の考え方はトピックストップの神聖ノマド宣言の中とガネーシャ神社と占いサイトの途中に要約されています。我々が例え、世界史中の誰よりも幸福だとしても、我々がラッキーだったに過ぎないのです。時代に翻弄されつづける普遍的な民の姿とは何であるのか、一緒に考えてみませんか。もう再び、末永きごつきあいを。せめて、感想だけでもお送りください。表現下手なのはお許しください。生きるという表現下手なのもお許しください。それで私の真意が伝わらないのは悲しむべきことです。私が敬愛してやまないのは博愛主義者マハトマ・ガンジーです。彼のように生きてみたいです。そのとき、わたしのいう、真の意味でのSMが理解されるかもしれません。

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