■マグロの独白(7)-3 |
パンツは薄いブルーで、前の部分にレースが入っている。しかし、大きいなぁという印象。普通、女のコが履いているのって、もっとちっちゃいかんじだと思うのだが…。しかも、かなり汚れているパンツからは生活感がにじみ出ている。そう言うとA子は
「あ、売ろうと思ったのはこのパンツじゃないよ。ほら、こっちの方」
とバッグの中からもう少しハデな柄のパンツを見せてくれた。そちらとて、欲しいという気持ちはわいてこない。なるほど、そういうことか。少々わかってきたような気がした。
もちろんマグロの場合、下着フェチではないので、ストライクゾーンは広くないのだけれど、電話だけで話していたときは、正直なところ、どんな下着を履いているんだろうとドキドキしたのだが、実際見てみると、なーんだという感じになってくる。パンツの問題ではなく、A子の問題なのだろう。セックスはしてみたいと思うのだけれど、彼女が履いているパンツにはそそらないのだ。どうしてそうなんだろうかと、あれこれ考えてみると、この女に“恥じらい”がないからなのだということに気がついた。
A子はたしかに、ぷんぷんとエッチ臭いフェロモンは放出している。チンポを顔の前に持っていけばすぐにしゃぶりつくようなメス奴隷のイメージはあるのだけれど、恥じらいという部分ではかけらもないのである。恥じらいがないと男の側はどうかというと、そそられないのだ。何かをしかけるという思い、たとえば乳をもんでやれぇ、とかスカートの中に手を入れたい、などの思いがわき上がってこないのだ。
翻って言えば清純というイメージというのは男がそそられるもっとも強い部分ではないだろうか。A子の外見からは、この清純というイメージが欠落していた。
だからなのだろうか、いずれにしても、ブルセラというプロの商売人の判断は正しかったのだろう。たぶん仕入れたところでA子のパンツは売れないのだ。もちろん、パンツを売る女がこの世の中にA子しかいなければ話は別なのだろうけれど、実際にはA子よりも若くて可愛い、しかも清純そうな女の子が多数ブルセラにパンツを売りに行っているというわけなのだ。
そう考えるとA子のパンツを断ったブルセラに僕も足を運んでみたくなった。