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風俗情報

 「そういえば居たな、AV界でも悪徳プロデューサー列伝」(2)

「エピソード1 私も餌食」
いろんな所で書いているので繰り返しになるが、僕松本晶は1995年9月15日のU企画のAV撮影で処女を喪失した。8月に原宿駅前でその企画ビデオの為にスカウトされて某プロダクションで面接後とんとん拍子でメーカー「M」でプロデューサー・監督面接を通り撮影に突入するのだが、当日の撮影条件が違った為困惑する。
企画が「処女狩り」だけあって、メーカー側も女の子を慎重に扱う態度で接していて撮影までに3〜4回もの面接を行った。僕に対して「この条件の撮影で本当にOKなんだね?」と数回に及ぶ確認を促していた。僕がお願いした条件は、
・ 男優を指定(確か、大島丈氏を選んだ)
・ メイク付き
・ パッケージは目線付き
・ 土日使って都内1日撮影
・ 本当に処女なのでソフトなカラミ

朝9時頃に新宿スバルビルの前で待合わせしたら、約束通りメイクさんはいた。車中で30分位でチャチャっとやってくれた。しかし、肝心の男優さんが見当たらない。「あれ、おかしいなあ」と思いつつ撮影現場へ移動。他所のモデルさんの家を借りて私の家って設定でハメ撮りってところまでは聞いてたけど、プロデューサーさんが可笑しなコトを言い出す。
「今日は、僕と2人で愛の逃避行だよ」
だって。背筋が寒かったよ。そこで本当なら、
事務所に電話して、
「約束が違うんですけどどうすればいいですか?現場から立ち去っていいですか?」
と行って撮影放棄しても別によかった。だけど、当時実家住まいだった私は、今日の撮影のコトを「会社の旅行に行ってくる」と誤魔化して家を出てきているので今更戻れない。スカウトから約1ヶ月の間、悪く言えば自分から死刑台に上る覚悟、良く言えば他人のポコチンを借りて自分の意志で処女膜をブチ破る覚悟が出来ていた。ここで辞めたら今までの気持ちが台無しだ。「ここで引き下がれるか」という気持ちが若干上回って、電話はしなかった。
監督さんが、
「じゃあ、Sさんよろしくね。撮影終わったら電話頂戴な」
場を立ち去ってしまう。「げ、この人と2人きり?えーっ」って思う。もちろんSEXって普通は2人でするものだろうから他人が居るのもイヤだけど、いろんなコト企んでそうなこのプロデューサーと2人ぼっちっていうのは超不安。素材撮りは4〜5時間に及んだが、監督さんが言うには必要な尺は20分強。監督さんすらも「え、なんでそんなに?」って感じなんだけど、答えは簡単だった。
『私の身体を弄びたかった』
うん、そうだ。インタビュー形式で撮影は進むが、愛撫が結構しつこかったなあ。ピンクローターが登場したり、目隠しプレイしたり忙しかったなあ。ダクション側からは、「フェラは我慢してね」と言われていたので仕方なくやったが、アナル舐めまでやらされるとは思わなかった。「普通のカップルは当り前のようにやるんだよ」と見え透いたウソをつくプロデューサーに抵抗して撮影を延ばすのもバカバカしかったので渋々舐めた記憶がある。「すごい職権乱用だ、そんな職権乱用男に身体を汚されんのか」僕の精神状態は自殺同然状態。ビデオ的には処女膜貫通時の血も映像に撮る事ができてリアルな作品になったと思うが、この時の思い出を今日まで良くも悪くも引きずって生きていくとは思わなかった。(だから強く生きてこれたんだと思うけど)のちに作品を見ると、Sさんの都合の悪い部分は全て編集されている。あと、僕が希望していた男優さんと会う機会があり尋ねてみたら、「そんなオファーもらってないし、そのスケジュールなら絶対断らなかったよ。謀られたね、あんた」だって。

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