第3回 レディボーイ in BANGKOK 山崎つかさ Date: 2003-11-16 (Sun) 

第3回 レディボーイ in BANGKOK 山崎つかさ


 タイにはレディボーイも多い。ニューハーフといったほうが日本の皆さんには馴染みがあるか。
 街を歩けばそれらしきごついお姉さんや出勤前のきれいなお姉さん、その予備軍とも言える薄化粧をほどこした男の子を簡単に目にすることができる。それがこの国の日常的風景でもある。レディボーイのミスコンテストもテレビ放映されてしまうのだから。
 そんななかで現地情報誌等で活躍する日本人レディボーイがいる。日本の各媒体にも何度か出ているので、ご存知のかたもいるかもしれない。名前を山崎つかささんという。
 レディボーイのさかんな国で外国人レディボーイとして活躍する彼女に、今回はインタビューを申し込んでみた。

「十代で決めた自分の生き方」

 9月某日。ほぼ時間通りにあらわれた彼女。雑誌で目にするよりもずっとかわいらしい。「あっ、そうですか。ありがとうございます」。いや、お世辞なんかじゃなくて、本当に本当に。
 タイ人の女の子がそうであるように、タイ人レディボーイも体にフィットしたセクシー系(私はそれをキャバ系と呼んでいる)、ファッションを好む。色気よりも女の子らしさを強調したこの日の彼女のファッションは、『私は私』をくり返していた人らしいものだった。

――あの、現在、お体はどのような感じで?(なんなんだよこの質問)
「あ、すべて。胸はあるし下はすべて取りました。膣もあります」
――性転換手術はいくつのときに?
「これはオフレコでお願いします。1×歳です」

 驚いた。法的に触れるらしいので十代とだけしておく。わずか十代で彼女は女性の体になりたいと望み、手にいれてしまった。さらに驚いたことに手術費用は家族が全額負担。


「自分で自分のことを女の子だと思ったことは一度もないんです。だから3,4歳の物心つくあたりからずっと女の子になりたいと思っていました。小学生のときにはスカートが大好きでしたもんね」

 幼いころから自分のことを『私』としか呼んだことがない彼女は、中学一年生になってお小遣いでホルモン注射を打つようになる。女の子になりたい一心で。そして中学3年生の夏休みにはこつこつ貯めたお金で去勢手術を受ける。家族に内緒で。こんな決断力と行動力を中学3年生の私は持っていたかなぁと、だからこそ彼女のとった行動に感心しきりなのであった。
 その入院が必要な去勢手術を1日で退院してしまった彼女はその後、体調を崩し寝たきりとなる。ある日起きたらシーツが血だらけになっていた。それを見た母親と姉は絶句。

「それはもうびっくりしますよね。それでどういうことかを説明せざるをえなくなってしまったんですよ。でも自分の生き方を認めてもらうというか、わかってもらわなくてはいけないと感じていたので・・・・・・。
 そこから3日間くらい、家族全員が何もしゃべらなかったです」

 すでに何度も取材を受けてきている彼女。何度も同じことを話してきたのだろう。話す言葉によどみはない。

「私の話を聞いてしょうがないとかそういう気持ちも半ば両親にはあったと思います。だから何回も聞かれました『それでいいのか。後悔はしないのか』って。ただ、私自身、それでいいというよりは、私が私らしく生きていける道は性転換しかないと思っていました」

 とにかく女の子になりたいという考えしかなかった当時の彼女。そのために男性としての機能を一度もはたさずにきた。すでにホルモン剤を打っていたので男性器は赤ちゃんのようになっていた。いわゆる『朝立ち』の経験もしていない。排泄機能のみのおちんちん。
 話は続く。

「手術にあたって何回も何回も家族全員で話し合いました。そして最後は両親も『お前は娘だ』ということで認めてもらいました。私が聞いている話だと、三百万円ぐらい手術費用に使ったと聞いています」

堅い信念、岩をも通す。余談だが、当時は性転換手術に際して、カウンセリングも何も行われなかったということだ。それはそれですごい。

「親戚とかになんで手術を許したのかって両親が言われたので申し訳ないっていうより、あわせる顔がなかったですよね。そういう風に言われる父親と母親を私は守ることができないし、かといって言う人を非難することもできない。だから黙ってこらえてくれている父親と母親に頭が上がらないですね、私は」

『こらえてくれている』と、現在形で早口にいっきに語った彼女。


「タイは自由、すべてにおいて自由」

 タイにハマる日本人はみんな同じことを口にする。彼女もそう言い切った。
「あとはインスピレーション! ここに住みたいっていうインスピレーションでした」

 女性として憧れの地、東京で大学生活を送った彼女。恋愛も経験し、テレビにも出演した。田舎で夢見ていたことはすべて達成した。その次の何かを探し始めたときに、外国、タイに目が行き始めた。自由にのびのびとやりたいことをして生きていくには、日本はとても生活しづらい場所だった。

――バンコクはレディボーイの人にとって生きやすい場所ですか?
「そうですね。・・・・・・でも生きやすさの観点を間違わないようにしないといけない。仕事をするうえでは自分の才能を発揮できる場所かもしれませんよ。だけど、恋愛面に関してはすごく苦労すると思いますね。タイって第3の性っていう言い方をするくらいゲイと呼ばれる人たちの存在を認めているんですけど、そういうカテゴリーのなかだけで人づきあいをするんですね。こと恋愛に関して。そしてゲイの人たちはゲイの人たちってくくった見方しかしないんです。存在は否定しないけど、深入りはしないというか」

――じっさい恋愛で苦労された経験はありますか?
「ありますね。タイ人男性って本当にシビア。たまたま好きになった人が昔男性だったとかそういう見方はしない。『僕はキミのことが好きだけど、でも、キミは元男の子だからね』って平気で言う。
 レディボーイの人たちって120%だまされるのが当然。下心があって近づかれ、貢がされ、最後を迎えてしまう。日本人の知り合いは『タイならすぐに男なんか見つかるでしょ』なんて言ってくるんですけど、そんなのお金を出せば簡単に手にはいりますよね、この国では。お金のない関係で本当に自分自身を好きになってくれる人を探すのはとても大変ですよね。だからレディボーイの恋愛ってむずかしいと思いますよ」

 できれば話したくない。恋愛に話が及んだとき、そんな軽い拒否感のようなものを感じた。たぶんそれは気のせいじゃないと思う。

「セックスのとき、快感はありますよ」(ここらへんで下ネタを)

――下にいわゆる膣がある場合、普通に感じるものなんですか?
「快感はありますよ。でも私自身、男性の気持ちよさも知らないし、女性の快感っていうのもどういうものなのかあまり知らないわけじゃないですか。でもたぶん、こういうことを指すんだろうなぁっていう気持ち良さはありますね」

――日本にもタイにもレディボーイのいる風俗店ってありますけども、それはセックスの面でレディボーイだからこそ味わえる楽しみがあるから成立してるんでしょうか?
「ぜったいそうだと思います」

――それは男性の気持ち良くなるポイントを、元男性だからこそ知っているということ?
「それはあると思います。でも私、そういう見られ方ってすごくイヤなんですけど、現実問題そういうプレイを望んでくる男性がいるからそういうお店が成り立っているんだろうなって思います」

――その女性の体がどこまで手術されているかを把握して、あの子とならあういうプレイやこういうプレイができるっていうこと?
「うん、そういうことそういうこと」

――周りのレディボーイのお友達とセックスの話をよくしますか?
「話を聞くのはすごく好きですね。でも聞いているとやっぱりオカマなんだなぁって、元男だなぁってすごく思います(笑)。あんなことやこんなことしたわよっていう話からあそこの大小の話まで。もうそれが日常会話。それとレディボーイの人ってね、必ず男の人の話をするときにあそこの話からするんですよ。笑えますよ、ほんとに」

――でもゲイの人もそういうエッチ話を平気でしますよね
「そうそう。だからそういう意味ではゲイの人とまったく同じ。私はよく日本からいらした方をアテンドするんですけど、ゲイの人っておさかんですよね」

――ゲイの人に限らず旅行者の人って、来たからには楽しまなくちゃって思っているようなんで、普段以上に頑張っちゃうみたいですけど
「そうかもしれない。ただ、そういう気持ちにさせられる場所っていうのもあるかもしれない。とくにここらへんに関しては(取材はゴーゴーバーやゴーゴーボーイが密集する場所で行われました。タニヤ通りもこの近く)。ゲイやレディボーイの人は日本でカミングアウトできない人がたくさんいるじゃないですか。そういう人もここに来れば大手を振って歩ける、いつもの自分でいられるのかなって。私はそういうのを微笑ましく見ているんですけど」

――山崎さん自身は日本のニューハーフ事情をどのように見ていますか? 存在自体がタイよりもずっと珍しがられているからまだまだだなって思います?
「うーん、法律的に見ればいまの状況で充分だと思います。今年の7月に改定されて性転換手術をする人は自分の性別が選べて、戸籍までとれて結婚までできるんですよ、いまでは」

――えっ! そうなんですか?(無知なわたくし・・・・・・)
「はい。だから女性にも男性にも変わることができるし、そういう意味では進歩したというか、もう充分環境は整ったと思います」

「自分の信じた道をいまはわかってもらえる時代」

 最近わたしが引っ越しをした先はいわゆる繁華街。この原稿を書くのに何度か外へ出かけたが、ゲイの人やレディボーイ、トムボーイと、場所柄、さまざまな性の形を見ることができた。存在は否定しないタイ人。ほどよい無関心。『性同一性障害』と騒ぎたてなくても、一般社会にとうの前からするりと溶け込んでいるなんでもありの自由な国。日本に住んでいたら、こんな状況がうらやましく映るかもしれない。
最後に、自分の性に悩んでいる人へ、アドバイスをもらった。

「自分でどうしたいのか、どうなりたいのかっていうのを、きっといまはわかってもらえる時代だと思うんですよ。だからその時代の波に乗って自分の信じた道を生きていったほうが楽しいと思います。タイに来たらまた違う人生があるかもしれないし、一度旅行で来てみるのもいいかもしれませんね」

 待つのではなく与えられるのでなく自分からつかみにいく積極的な彼女の生き方。160センチもない小さい細い体ながらも、まっすぐな力強さとその存在感。そう、ひまわりだ・・・・・・。彼女の姿にひまわりを重ねあわせた。



現在は仕事の関係上、香港とバンコクを行ったり来たりしている毎日。いづれはタニヤ通りに自分のお店を持つのが夢だという。「その日のためにいろいろと勉強しているところです」

タイ人男性はもうこりごりだとか。「あり得ない価値観が多すぎる。どうして電話をくれなかったの? っていう説明が、『電話が突然爆発した』とか『車に轢かれた』とか幼稚なウソばっかり(笑)。あと、浮気性だし」。たしかにその通り。「それに、一緒にいたって自分が向上しないんですもの」

いままでなんで女の子に産んでくれなかったのって思ったことはあります? 愚問とも非礼ともいえる質問をした。「やっぱり思いますよ。でもそれは言っちゃいけない言葉だと思ってる。でもこうして認めてもらったことにも救ってもらったことにも本当にありがたいと感謝しています。両親は1番何よりも大切な人たちです」

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