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風俗情報

  エロ業界Q&A(8)
【ご質問】
平加門先生、前回質問させていただいた、中国人女性の風俗店を2店舗経営するオーナーです。またしても、くだらない質問で申し訳ありません。遊びにいった中国のエステ店で先生と同様に、シャワーに独りで入る侘しさ・虚しさ・罪悪感などを実感・反省し、自分の店だけでもお客様の心が癒されるようにと、混浴シャワーサービスを昨年より実施しました。たったこれだけのことなのに、お客さんはとっても喜んでくれるのですね。ただ、懸念する材料もありまして、近くにある、外国人オーナーのヤケクソ気味の何軒かのエステ店では、リピーター不足から本番サービスを料金込みで始めたようです。当店のような癒し系のソフトサービス主体のエステ(全身マッサージ+手コキサービス)でも本番店に負けないで生き残れるのか心配です。なにか助言を下さい。

【ご質問に対するお答え】
 筆者が何年も前の初期から韓国エステを好きになったのは、一つは、外国女性性風俗というものが、過去においては、(売春も含めた)店外連れ出しOKのタイやフィリピン系のパブやクラブのしか無く、しかも、「タコ部屋」と呼ばれた部屋に何人も閉じ込められ、脱走すれば暴力団からのリンチに会うというような、暗く、陰湿な犯罪がらみで社会問題化していて、とてもとても痛々しくて行く気にならなかったんです、正直なところ。
今でもアジアンエステや、地方の売春パブなどには、締めつけの形こそ当時よりは緩んでますが、まだ完全な強制売春、管理売春的要素の強い店が有ることを、残念に感じてます。
 それとは別に、六本木とか赤坂に白人系のショーパブが少しずつ表れたり、Eという白人専用のヘルスが渋谷に、Tという同様のヘルスが奥多摩地区(墓場の隣り・笑)にできたりしましたが、ちょっと遠いのと、仕事が忙しいのと、同居家族に病人がでたりして、事実上行くことができませんでした。
そのうち、やや高いので不評だった韓国クラブがバタバタと潰れ始め、それにとって替わるようにできたのが、韓国エステでした。
これはわずか1〜2年で急速に増えました。もちろん女のコは服を脱がず、フェラも素股もなく手コキだけでしたが、熱いタオルやビニール布団蒸し、及び、本格マッサージが話題となり、高円寺にもアッという間に増え続けたたわけです。
つまり、もう一回一つ目の理由をまとめると、近くにでき、値段も(他の性風俗に比べれば)安かったからです。コンビニ風、リーズナブル、これでした。
二つ目の理由は、もっと切実でした。上記のように公私ともに過労だった筆者に、本格マッサージは大変有難かったです。
もう一つ隠れた理由をいうと、ティンコにも「老い」が始まっていて元気なく(笑)ある種リハビリみたいだったですよね(爆)。マッサージが本格的だったので、なおさらそんな感じだったです。でも、これには本当に救われました。
雑誌などに筆者は何回も書いたことだけど、初期のコリアン嬢はみな、日本女性より気が強いけど、いったん気持が通じ合うと、本当に優しい。
性に対して恥じらいもあるし、よく尽くしてくれるし。偶然、当たったコが良かったのかもしれませんが、3人、5人、10人と馴じみ嬢の数を増やしても、基本的にはこのパターンから外れませんでしたね。
 ま、そんなこんなで、実際の自分の過労や老いという必要にかられて、韓エスにハマッてしまったのが、第ニの理由です。
実際、その後筆者はまた日本女性の普通のヘルスやイメクラにもバンバン行ったのですが、そうした中でもフッと懐かしい感じがして、併行して韓エスにも行き続けました。
次から次へと新しい風俗が出てきて、筆者だった新モノ喰い、移り気ではあるんですが、懐かしい感じというのは日本のヘルスやイメクラには感じられなかったし、もちろん筆者は韓国人でも韓国生まれでもないけど、しかもそんな気持が持続したんで(というより今でも持続しているので)、
この気持はもっと自己分析してみる必要があると思ってます。
 そして最後、三つめの理由は、韓国パワーでした。
88年のソウル五輪戦後(ノ・テウ大統領時代)に、韓国映画にも規制緩和があって、日本でいう昔のピンク映画のような、ま、ポルノっぽいものが増えたわけです。知っている人は知っていると思いますが、「桑の葉」「続・桑の葉」という三部作があります。
もう、出演者も監督も、内容すら一部は忘れてしまいましたが、内容はキチンとしたものであり(もち、日本軍が敵です・笑)、出てくる女性たちは、チマチョゴリの他に、あのさらしを胸にまいて、逆に胸の谷間や乳房の盛り上りを強張しているのが、実に新鮮でした。
多くは、村の因習や封建主義に、懸命に生きようとする女性が潰されていくといった暗い結末の悲劇が多かったのですが(かつての日本のピンク映画も、こういうパターンが多かった)、今で言ったら「おしん」とか、イジメですかねぇ(笑)。
それ自体のカタルシスも男心をそそるものでしたが、こんなものからでも、同国がいよいよ動き始めたなという、国の力を感じたものでした。
こういう言い方は怒られるかもしれませんが、急速に近代化や自由主義化が進み、確か当時のスローガンは、日本に追いつけ追い越せだったと思います。
筆者はポルノや性風俗を自由や平和の象徴だと書いたけれども、もう一つ、面白いことがあって、どんな国でも、乳房解禁、ヘア解禁、本番解禁といった映像上のエポックは、その国の歴史上、たった一度しかありません。
ポルノが目指す方向性というのは、良くも悪くもそれの「完全解禁」への道です。上記の1個1個解禁されていく道のりは、そのままその国の近代化や自由化と足並みを揃えています。
日本も昭和50年代の中頃から、約10年弱でしたが、ビニ本、ノーパン喫茶を皮切りに、いわゆる「新・風俗」とか「射精産業」とか呼ばれたポルノや性風俗の台頭と共に、未曽有のバブルに向かいました。結果はこの通りでちょいダラしないですが(笑)、あの時にポルノや性風俗と共に筆者が高揚・充実して行く気分を味わえただけでも、こういう仕事をやってよかったと思います。
あの時期が、筆者に性解放の面白さというものを教えてくれました。
 実は他国のことながら、あの時とよく似た高揚気分を、前出「桑の葉」は、思い出させてくれました。そういう個人的な思い込みもあっての、韓国エステです(笑)。
もちろん直接は関係ないのですが。そしてこの時にまた、韓国女性の美しさや色気は、日本よりかなり年令の高いそれだなと感じたわけです。
年取ってるとか熟女とかいった意味じゃないですよ。日本で当時、ポルノビデオや写真集で大騒ぎになっていた「美少年ブーム」よりは年令が高いなと。ま、簡単に言っちゃえば、「大人の女」の魅力みたいなものでしたよね。
 ただ、これは仕方ない話ですが韓国(外国)だったから新鮮に想像力を膨らませることができたと思うし、逆にその一方で、韓国女性は日本女性と顔が同じに近いというリアリティみたいなものも、相反するわけです。そういう意味では、これが中国やタイやベトナムや、ほんのちょっとでも日本女性の顔つきや肌の色と違っていたら、ここまで筆者は思い入れができなかったと思います。
そういう意味では、正直に書きますが、筆者の心の中にはまだ、「差別」感みたいなものがあるのかもしれません。
ただ、日本が敵として描かれているということに、反発心をおぼえたり、違和感を感じませんでした。
アジアの歴史に対する認識や勉強が足りないのかもしれません。
映画というファンタジーの中だけから感じてしまう限界かもしれません。
ともあれ、そういう国全体が(ポルノも含めて)動きだしたなという感じや思い入れ、国内的には、美少女ではなく「大人の女」の魅力を感じたという、過去の記憶も含めて、筆者が韓エスにハマり込んだ理由の数々です。
 なぜ、こんなことを長々と書いたかというと、もちろんこれは筆者の個人的、もっといえば極私的な体験なので、韓エスに足を運ぶ客の多くに当てハマらないかもしれませんが、もしかするとですが、本番店客と、手コキ店客は、求めるものや感じるものが異なるのではないでしょうか。
筆者は、タッチも出来ないキャバクラは大嫌いだったんだけど、今はハマってます。
実はフィリピンパブにもハマりかけていて、各々に違った魅力がある。長くなるので言いませんが、それと同じではないですか。それは本番店は強敵ですよね。客だったらそっちに流れてしまうだろうけれども、きれい事みたいですが、それでも流れなかった客が、本当の客です。
混シャワーでお客さんが喜んでくれた実績があるなら、立ち泡踊りを導入してみて下さい。女の子は大変でしょうが、フェラが導入できないなら、全裸を目で楽しめるアイディアを導入して下さい。Tバックは喜ばれるし、パイパンはもっと喜ばれます。
筆者的に脇毛も大好きで、洗髪サービスも、わかめ酒も導入して、フェラ、素股、本番以外のあらゆる思いつくプレイを導入して下さい。当面、それしかないのでは・・・・・。

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