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エロ業界Q&A(16) |
Date: 2004-01-08 (Thu) |
【ご質問】
「なぜ、日本の風営法や売春防止法は異性に対しての罰則だけなのでしょうか?諸外国では、売春は同性愛のものも含まれます。私が知る限り、わが国だけだと思います。私はこれらの法律の制定にまつわる歴史・背景などは存じ上げませんが、知り合いにとっても可愛いニューハーフの方がいらっしゃいまして、ニューハーフによるヘルス店を経営されております。二年ほど前にデリヘルの届け出を管轄署へ出しにいったところ、アンタは不要と云われたそうです。
ただし、女性客を接待すると逆に売春になるので、それはやめろと云われ、もともと本心では接待したくなかったので、今は女性客(たまに興味のある女性も居るそうです)をすべて断っているそうです。これらの法律でいう異性という観点が、諸外国の法律と違う点が解せないのですが。なにか政治的な圧力や歴史的背景・タブーが存在するのでしょうか?
中国では同性愛者が集会を行うだけで逮捕となります。(一億人近いといわれてますので、国家転覆の危機上もあるでしょうが。)
今回の風営法の法改正でもアニメとともに争点となってましたが、結局、前回と同じく異性のみで落ちつきましたし、6月6日に可決された出会い系サイト規制法案(正式名称:インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律)でも同性愛は蚊帳の外。この辺の歴史・背景・タブーなどによる官僚側の見解について教えて下さい。なにか見えない力が存在するのでしょうか?」(野望の帝国・司徒編集長から平加門先生への質問)
【ご質問に対するお答え】
なぜ「売防法」は異性に対してだけの処罰なのか―売春を禁止する法律は国によって軽重はあるけれども、結局、国が全面的に禁止するか、日本のように必要悪として(建前)禁止(実態)容認するか、独やオランダなど一部の国のように国で公認したり、もっと進んだ形として「個人売春」は「個人の自由」だからと、管理・組織だった強制売春のみをばっするような法律にするか、だけの問題だと思います。しかし、法律の中身はどうあれ、売春は常に万国共通して「やむをえない」ものとして存在してきました。さらに有名売春婦が政界にまで大きな影響を与えたり、売春文化みたいなものが巷で大流行したりと、売春行為そのものより、この業界(?)がその国のぶんかに与える影響はあなどれません。援交売春の一種のシンボルであったルーズソックスを考えれば、これが社会に与えた影響力は一目瞭然。頭の痛い深刻な社会問題であっても、ルーズソックスに罪はなかったわけです。しかし、その罪を敢えて罰しようというのが、売春<禁止>の考え方ではないですか。しかし法で禁止するからには加害者と被害者、そして行為が必要で、日本の場合はだからそれを法の根拠として「本番」としているわけです。もし、体を売る行為そのものが悪いなら、フェラチオ専門のピンクサロンは売春なのかどうか、です。つまり、性器のみならず、体を使う行為すべてを「売春」と規定してしまうと、世の何万人、何十万人という女性が、法的な罰則の対象となり、事実上、その全員を捕らえることは不可能だし、それが強行されたら、ファッショです。逆にいえば売春を「本番」限定することによって、僕らの社会は性の自由を得ているという皮肉な結果になっています。本来なら「本番」も自由にしてしまった方が、やりたい人だけがやればいいという、本当の意味での自由となるのですが、ま、建前やストッパーがないと人間社会は成り立ちませんので、日本でもこの最低線の基準だけは、今のところ確保しているわけですが。
そうして、この「本番」に限定してしまった状態から、Q氏がご質問の疑問が出てくるわけです。言葉遊びみたいですが通常本番といえば、(射精したか、女がイッたかイカないかは全く関係なく・笑)男性器を女性器に挿入することが、慣用となってます。同性愛は法律でいえば(気持ちは異性だとしても)売春には当りません。あくまで男女性器の問題なんですね。筆者はこういう考え方が日本独自のものなのかどうかよくは知りませんが、確かに日本の警察のこの「本番」に対する頑迷さは、ちょっと異常でもあるし、古い考え方だとも思います。しかし、逆に、本番以外の行為をもどんどん売防法で摘発するようになったら、自由というような抽象的な話は抜きにしても「人間性」が感じられない殺伐とした世の中になってしまいますよね。さらに逆にいうと、日本の警察は、あくまで法を順守しているわけで、その点は評価に価するのではないでしょうか。もち、こうして不自由で限定的な法だけでは売春は取締れないので、「風俗適性化法」(通称・新・風営法)などで徐々に囲い込んでいるわけです。あるいは「児童買春及び児童ポルノ処罰法」及び「出会い系サイト規制法」などで、年令を厳格化し、売春を予防しようとしているわけです(ただし後者二つの法律は、男女両罰を安易に取り入れてる点で、筆者は大反対ですが)。
結論は出なかったですね。「売防法」そのものは、法が「本番」従って「異性」に限定しているといったことが、異性にこだわって奇異に見えていたのでしょう。ちなみに同法は過去に数度改正され、ニューハーフでも(異性を相手にすれば)罰せられ、同性愛も客引きや管理売春や場所提供といった点では、確か罰せられたケースがあったように記憶してます(未確認なのでちょっと断定はできませんが)。なお、「売防法」は日本が貧しかった頃という歴史的な背景はありますが、異性にこだわったり本番にこだわったりする日本の警察の手法に、とりたてて、政治的な背景とか、いわゆるタブーはないと思います。超あえていえば、男社会が女性の人権の向上を目指して生まれたような法律ですから、あくまで女性を保護・更生させるためという、つまりあくまで女性は「被害者」という一種の古さ(筆者自身はこれを古いとは断じて思ってませんが)は、今の若い人達には感じられるでしょう。
ちなみにこれだけは言っておきたいのですが、かつて、吉原に代表される日本の遊郭は、早い話、国が赤線などを直接管理するわけにはいかないから、昭和26〜28年頃は、当時赤線の女達を住まわせていた飲食店や(今の人達は知らないだろうけど)カフェ等々の代表に、組合を結成させ、診療所の運営を委託させるなどの(一見、民主的に見える巧妙な)「間接管理」を」させており、これは今の吉原や新・風営法の届け出店なでにもある程度させているわけです。しかし当時は、売春婦が大量に生じたのも「戦争」の責任だという非批や、国の保護・更生の責任問題があって、売春防止法の成立(昭31年成立、33年施行まで女性の更生に猶予を与える)でも、国はかなり率先してこの問題を解決しようとした。しかし、現実に保障問題が生じると、国や警察、特に政治屋「あれは民間の業者がやったこと」と、逃げを打った。ために、一説に50〜60万人の女性が路頭に迷い、その結果、ソープに流れたという背景があった。で、前出した政治屋の口ぶり、従軍慰安婦問題の時と全く同じでしょう。これも知られてないけど実は従軍慰安慰や赤線の女達は、米国駐軍から一般婦女子を守るため、国が公募したという歴史的事実がある。にもかかわらず、くだんの間接管理で、いざとなったら責任逃れをし、もっと冷酷に法で一気に切り捨てる。こういう成り立ちと真の姿が「売防法」なので、国がポルノや性風俗に関し、規制を緩めたからといって油断はできない。日本の国民は国から恩恵はかなり受けてきたけれども政治は冷酷で、政治屋は昔から常にいい加減だったということが、前出の例でも分かるだろう。こういう影の部分は、いつも忘れてはならないと思いますね。
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