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 ◆影野臣直「アングラビジネスの帝王」その1(1)

・アングラ稼業一筋20余年
インテリぼったくり屋の半生

 私は19歳の頃から逮捕されるまでの約20年間、歌舞伎町を主戦場としてアンダーグラウンドビジネスに手を染めていました。その中でも、キャッチバーなどの"ぼったくりビジネス?においては従業員100名を越す一大チェーンを築きあげ、当時の歌舞伎町で1、2を争う勢力にまで登りつめました。当時、"ぼったくりのKグループといえば歌舞伎町界隈で知らぬ者はいないといわれたものです。ここでは私がアングラビジネスに足を踏み入れ逮捕されるまでの話や獄中での経験など、肌で体験した者でしか知りえないエピソードを回顧していこうと思います。また、歌舞伎町のタイムリーなウラネタも暴露しましょう。ぼったくり被害談はよく聞くでしょうが、ぼったくる側である"ウラ宿系?の話を聞く機会などないでしょう。歌舞伎町で遊ぶうえで多少なりとも参考になれば……とも思っていますので、以後よろしくお願いします。

 まず、私がぼったくりをはじめたキッカケからお話しましょうか。それはさかのぼること20年以上も昔、19歳の頃。当時、私は大阪にいて浪人中の身でした。80年代はキャバレー全盛の時代で、ハワイチェーンやロンドングループなど、大手キャバレーの系列店だけで数千店舗を数える時代で、私も浪人中にアルバイトとして地元大阪のキャバレーで働いていました。時給は当時の学生アルバイトとしては破格の1000円。1日まるまる働いても4、5千円しかもらえない時代ですから、この金額がいかに高額だったか想像できるでしょう。しかも年齢が若かったものですから、ホステス、当時は『社交さん』と呼ばれるお姉さん達からも可愛がられ、お客さんからもらったチップを私のポケットにねじこんでくれたり、酔っぱらって股間に抱きついてきたりと、もうそれはすごい世界でした。ピンクキャバレーで働くお姉さんとはいっても、ほとんどが託児所に子供を預けて働きに来てる人妻といった時代。何も知らない若僧にとってはまさに『大人の空間』でしたね。当時はかなりの衝撃を受けましたが、夜の世界なら腕次第で大金をつかめるんじゃないかと実感したのもこの頃です。

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