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 ◆影野臣直「アングラビジネスの帝王」その1(2)

 そんな不真面目な勤労浪人生活を送りつつ月日は過ぎ、大学の合格発表の時期。めでたく合格することができました。しかし受かったのはすべて東京の大学という状況。大阪を離れる気はなかったんですが、また浪人していては遅れをとってしまうということで上京することに決めました。ともかくあの頃はギラギラしていて、金をつかんで「人とは違う学生生活をエンジョイしてやろう」というようなことばかり考えていました。実をいうと私、裕福な家の生まれ、いわゆるボンボン育ちだったんです。しかし高校時代に祖父母、父が立て続けに亡くなるという不幸に見舞われてからというもの、家業は衰退し家計も困窮。そんな背景もあり、高校を卒業する頃の私はぐうたらな道楽息子から野心家へと変身していたというワケです。まぁ、いま思えばここからが私の波乱万丈な人生の幕明けだったのかもしれません。

 そんな理由もあり、大いなる野望を胸に秘め上京してすぐ探したのがホストの仕事。水商売の基本はすでに経験済みだし、僭越ながら多少なりともルックスには自信があり、実際に年増女性からモテていました。ここはいっちょうホストで客から金を引っぱり、華やかでリッチな学生生活を送ろうじゃないかという魂胆です。その当時、ちょうど『学生にして社長』という、いまでいうベンチャービジネスのハシリが頭角を表してきたというのも発奮材料でしたね。負けちゃいられないということで、「じゃあオレは夜の世界で財を成してキャバレーチェーンを作り、大金をつかんでやろうじゃないか!」という決心を立てたというワケです。いま思えば若かりし日のささやかな夢でしたね…。

 そしてスポーツ新聞の三行広告欄に書いてあった新宿のホストクラブへと面接に行ったんです。しかし求人欄に書かれてあった住所の店に入ってみると、雰囲気がどう考えてもおかしい。店長に聞いてみると客は女1割、男が9割という話で、店内に目を移すと『さぶ』や『薔薇族』が置いてあり、スーツではなく赤のピッチリしたTシャツのような派手な恰好で出勤してくれという。──そう、そこは新宿二丁目のウリ専だったんです(笑)。当時はウリ専なんて超がつくほどマニアックな世界だったので、上京したての若者が当然知るよしもなく警戒心など皆無でした。ちなみに当時のウリ専でショート6千円、泊まり1万5千円。当時、人気絶頂だった大物俳優なども常連というウリ専でした。ギャラの破格値に正直いって少しだけ気持ちが揺れましたが、何せ相手はオトコ。当たり前ですがオンナじゃありません。やっぱり私にはムリだということで「いや〜、キミなら絶対稼げるよ。明日からでもスグ来て」というマスターに「明日からお願いします」と言い残して命からがら逃げ出して来ましたよ(笑)。

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