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 ◆影野臣直「アングラビジネスの帝王」その2(2)

ぼったくりバーでの修行時代
 そのお店は8坪程度の広さしかなく、カウンターにボックスが5つという手狭な店舗(ハコ)。キャバレーといえば最低でも25坪、大きなキャバレーチェーンなら100坪が当たり前という時代だったので、大手キャバレーチェーンしか知らない若造の私には奇妙に映りました。客も1時間に2、3組しか来店せず「これで店の経営は成り立つのかなぁ」と不思議に思いながら働いていました。

 しかしある日のこと、会計の段階でイカツイお兄さんが出てきて客ともめているのを目撃。テーブルをブッ叩きながら料金の説明をしている強面のお兄さんを見て、そこではじめて『ここはぼったくり店だったんだ』と気づくワケです。あのときは本当にビックリしましたね。ウワサに聞いていた光景が、目の前でそのままに繰り広げられているんですから(笑)。「どうやらオレには務まりそうもねぇなぁ」と思い悩みましたが、その当時、私には住む場所がなく、寮という名の店長の住んでいるワンルームマンションの居候の身…。さらに日払い2千円という、当時ではそれなりの給料をもらっていたので、やめるにもやめられない状況でした。若くて華奢なカラダつきだった私は「お前じゃ話にならん!」と客にもナメられ悔しい思いもしましたが、自分なりに汗水を垂らしながら、精一杯働いていたのは憶えています。この時代の私は「ぼったくりモラトリアム」もしくは「ぼったくり黎明期」だったんですね(笑)。

傷害逮捕でインテリぼったに開眼
 そんなおり、たまたま適任がいないという理由から小さなキャッチバーを任されることになったんです。そのお店は"キャー?と呼ばれる、キャッチガールの元祖のような女性たちが酔客を連れて来るお店(※当時は男性キャッチに対し、女性の客引きのことを"キャー?と呼んだ。その後"キャー?の若返りが進行し"キャッチガール?という呼称に。さらに"キャッチガール?が低年齢化。影野氏が"ガールキャッチ?と命名)。しかも男手といったら私しかおらず、トラブルがあれば自分ひとりで何とかしなければならない状況。その頃から売り上げを伸ばすために、そして文句をいう客を黙らせるために"暴力?を頼りにするようになっていました。あの頃の私はまだ若く、かなりの荒れ具合でした。客を小突くのは日常茶飯事、喧嘩に明け暮れる日々でしたね。

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