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風俗マガジンTOP >柿崎マモルの「ノーマネーでフィニッシュ!!」

柿崎マモル 柿崎マモルの「ノーマネーでフィニッシュ!!」  [仕事・連載等のご依頼]|[サイトの推薦]

元デリヘルオーナー。
なぜ私の店だけが潰れたのか?   
今だから分かる風俗繁盛店への法則!!

 

【お知らせ】










柿崎マモル 柿崎マモル
(かきざき まもる)
  プロフィール:
昭和31年7月8日東京都荒川区町屋で精肉店の三男として産声をあげる。
今でこそこの精肉店は存在しないが、ポテトフライやコロッケなどの惣菜もとっても旨いと評判なお店であった。
野球が好きな少年時代を送り、今でも巨人ファンを貫く。草野球チームに所属し、荒川河川敷でよくプレイしている。
都立高校卒業後、新聞販売店、ファミレス、ガソリンスタンド、炉端焼店などのフリーターを経て、25歳の時にステーキハウスで独立。
当初、お客が少なく、昼間のアルバイト掛け持ちで何とかしのぐ。
その後、徐々にではあるが、リピーターを増やし、繁盛店となる。
その後、35歳で結婚して男児に恵まれる。
この頃、風俗にも目覚めて遅蒔きながら風俗デビュー、司徒とも知り合う。司徒の独立時にも尽力し、外国新聞の広告欄に義理で出しまくったため、一時外国人のお客さんの溜まり場と化す。
しかし、狂牛病騒ぎで客足が途絶え、国も何らの対策も施さなかったため、ついに20年目にして、さまざまな夢と想い出を乗せた柿崎の店は無残にも沈没した。
ベンツを買ったり、酒浸りの日々、税務署との駆け引きが今では嘘のようだ。そんな柿崎の最後の賭けはデリヘルのOPENであった。
しかし、勝負はあまりに呆気無く着いた。残酷な幕切れだった。
柿崎はステーキハウス時代にコツコツと貯めた、なけなしの銭を全て失い、完膚無きまでに敗北させられたのであった。
かつての“ステーキの柿崎”といえば、飛ぶ鳥をも落とす勢いであったが、現在は無職。
司徒の“野望の帝国”のガイドの誘いは、まさに渡りに船、もちろん二つ返事でOKしたのであった。



<御挨拶・経歴・バックグラウンド>

六本木でデリヘルを開業しましたが、残念ながら平成15年2月いっぱいをもちまして廃業とさせていただきました。結果は自分の甘さから惨敗となりましたが、これからお店をオープンしていく方々にも必ずや参考になるのではと、今回筆をとらせて頂きました。自分も再チャレンジすべく、しばらくは皆様方とともに勉強していきたいと考えております。必ず復活致しますので、その節は宜しくお願いします。もし、読者のかたで風俗にかからわず、将来自分でお店を持ちたいと考えているかた、どしどし御質問下さい。自分で分かる範囲でお答え致します。分からない質問には、自分よりも詳しい専門家に登場して頂きますので、お気軽に御質問下さい。


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