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J:ウチとしては部屋にも限りがあるし、店全体の経営の方が第一だし、どんなに面倒見れても女の子の在籍はせいぜい50人位までだからね。フルイに掛けるコトもいた仕方ないんだよ。実質、50人のうち大事なのはせいぜい30人で、あと20人は当てにしてないし。常時いかに入れ替えて30人の枠の中に上手く入れ替えるかだよね。“生身の喋る生き物”を扱っている商売だから失敗も多いよ。肉体関係持っちゃったりとか、やり方によってはチンコ使ってホストみたいに女の子操ったりって方法もあるからね。結局身体交しちゃうと付き合い短くなっちゃうんだけどね。…まあ、結果的にだけどね。お互いに気持ちイイ&美味しい思いしてるんだから納得の上なんだろうけど。
今のところ、俺よりも ヒト・カネ・モノ を上手く動かせる人間って出会ってないなあ。
松:そこまで言い切れちゃうってコトは、自分に自信があるからとかじゃなくて、物理的にですよね。
「ヒストリーOF J氏」
松:23〜24歳(10年前)に風俗スタートとのことですが、最初の店は?
J:「渋谷108」マットヘルスの元祖だよ。そこから分家して渋谷に散ったんじゃない。
松:今まで経験した業種は?
J:イメクラ・ヘルス・マッサージ・デートクラブ…、そんなモンかなあ。最初の店でノウハウ学ぶのに勤めて1年掛かんなかったね。
松:じゃあ、2軒目でもう店長?すげー。
J:いやあ、されど風俗だけど、やっぱ高々風俗だからね。1軒目の途中から店長になってたよ。まあ、10年前はもちろんのこと5年前は誰が店出しても儲かる時代だったからね。あの頃の1番の悩みは“警察とのイタチごっこ”だったなあ、懐かしい。
松:現『A』とJ氏の店の会長と出会い、6〜7年前に『年中夢中』開店して超大ブレイクしたんですよね。確か当時も水野愛が居て公告的にも強かったはず。
J:そうね。それより凄かったのはその後の『素股行進曲』(蒲田)のヘルスビルだね。あれは確か6年前で地下1Fから5Fのビルでさあ。笑えたなあ、4ヶ月で潰れたよ。
松:えええええぇっ。なな、なんでですかぁ!
J:摘発喰らったよ。客入り過ぎて目立っちゃったよ。その事件で東スポ一面飾ったんだよね。(そこから有名人)当時はすごかったよ。入る店の情報聞きつけては摘発合戦さ。
松:僕19歳の時、イメクラ風俗デビューなんですけど錦糸町もすごかった。無許可の方が安くてユニークな店多くって人気ありましたよね。(イメクラは全部無許可)
J:ちょうどダイアナが死んだ時だったね。その町に居られなくなったね。いわば、蒲田から永久追放。その辺から現金1,200万円持ってトンズラしたなあ。
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