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テレクラ放浪記(7)-1 |
Date: 2003-07-09 (Wed) |
これまでのあらすじ
「40代後半だった私にとって、会えてセックスできる女は援助交際を除いて、何らかの心のビョーキを持つ女たちだった。精神病院に入退院する女はストーカーに変貌した。盲目の女とは、目の見えないことをいいことに徹底的にもてあそんだ。それは健常な女とするセックスより楽しかった。むろん弱い者いじめの快楽である。端的なのがデブである。男から相手にされずに性欲を持て余した彼女たちのセックスは真剣だった。命令すればなんでもした。尻の穴を吸わせもした。彼女たちは嬉々としてそれを受け入れた。ある夏、そんな太った女たちを狙って伝言ダイヤルに挑戦した」
1.不毛の季節、夏休み
主に30代から40代前半の子持ち人妻を対象に遊んでいた私にとって、子供が家にいる時期である春夏冬の休み期間中は不毛の季節といってよかった。
子持ちかどうかは私にとって重要なポイントである。子供を世話する必要のない〈フリー人妻〉に比べ、子持ちの人妻のほうが圧倒的に不自由で生活に疲れていた。私が獲物とする人妻は、子供の世話に明け暮れ、これといった趣味も持たず友達もなく、なお亭主に飽きられた、いわば忘れられたオンナだった。
しかも彼女たちは「○○さんの奥さん」「××ちゃんのお母さん」でしかなく、男から女として応対されることめったにない〈非社会人〉だった。だからこそテレクラはいっときはいえオンナに戻れる舞台としては最高の場所だった。
それは彼女たちに「ご主人の職業は?。子供さんは何人?」などと聞くと電話を切られることが多いことから確信に近くなった。
私のつくったテレクラの原則に「人妻に生活環境のことは聞くな」と入れたのはあながち間違いではなかったようだ。
もちろん子供のいない〈フリー人妻〉とも多数話したが、友達との交遊や外出などで元々〈ハレ〉の感覚に慣れている女たち〈社会人〉は、私のような会話ベタでヤボな男は相手にしてくれなかった。
7月終わりにもなると人妻からのコールは激減した。それにかわって電話が増えるのが年少の女たちからの援助交際だった。
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