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風俗情報

  テレクラ放浪記(8)-1 Date: 2003-07-23 (Wed) 
これまでのあらすじ
「44歳でサラリーマンからテレクラ探検人に転職して3年が過ぎた。援交女子高生、大学生。精神病院を入退院する女たち。盲目の女。娼婦願望の美人人妻。男に相手にされずに性欲を持て余した太った女たち。サラリーマンをしていた頃には出会えなかった特殊な女たちとのセックスに私はのめり込んだ。セックス行為そのものも楽しかったが、彼女らの持つ特異な〈物語〉は私の性欲を倍増した。」

末森ケン§1.初めてのテレクラ現場取材
 初めてハメ撮りをしたのは〈プロ〉になってから3年目の春だった。
 今から思えば、なぜ初めから女の写真を撮っていなかったのか不思議なのだが、その時はまだ出版社から写真の提出は求められていなかった。肝心の私も女の写真を撮ろうなどとは考えてもいなかった。第一にカメラそのものは10年ほど前に買ったコンパクトカメラしかなく、それもほとんど使わずにホコリをかぶっていた。私はテレクラ体験記を書くだけで、記事の女の写真はすべてイメージカット、つまり出版社に保存してあるてきとうな女の写真で用は済んでいた。

 初めて私のテレクラ現場を取材された時もその頃だった。
 年に数回テレクラの特集を組んでいた「隔週刊・宝島」の依頼で、私なりのテレクラのノウハウを特集するという企画だった。それに文だけでなく実際にテレクラで電話をとって話しているところや、できれば女と会う場面まで追跡したいという。
 池袋で編集者とカメラマンと落ち合い、事前に許可をとってあったテレクラに行くと責任者は待っていた。手筈どおり私が個室へ入り電話で話しているポーズを撮られた時は緊張していた。カメラマンの指示に従い粛々と撮影は進行した。そしていよいよ私と編集者が各個室に別れ、アポ競争をすることになった。
 この時の編集者I氏とフリーカメラマンY氏と私の三人組はその後もテレクラ取材の度にユニットを組んだ。のちに放送作家兼ライターS氏も参加し、趣味と実益を兼ねた取材は年に2回ほど約3年にわたって続いた。その間には2千人もの女をゲットして〈テレクラナンパの鉄人〉の異名をとっていたコンピュータエンジニア、佐伯雄二氏と知り合い、我々宝島テレクラ取材クルーは彼の指導を受けながら東京近郊のテレクラをまわった。残念ながら数年前に「宝島」がリニューアルを契機にエロス路線から撤退し、それは自然解散となった。

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