■ テレクラ放浪記(9)-1 | Date: 2004-01-06 (Tue) |
これまでのあらすじ
「44歳でテレクラにハマり、自分では考えもつかなかったテレクラ探検人兼フリーライターとして〈再就職〉した私は自由気ままに仕事をした。堂々と名刺を他人に渡せ、収入が安定しているサラリーマンたちにコンプレックスはあったが、昼間からテレクラ女とホテルへ行ける身分につかる快感は、なにか特別の仕事をしている気分で楽しかった。ハメ撮りの技術もどうにか会得した。怖いものなし、といった気持ちでテレクラ女に挑戦した。それに応えるかのように、神はディープな女を提供してくれた」§1・最初の妊娠女・ヒトミ・22歳・妊娠6ヵ月
セックスするつもりで一緒にホテルへ入った女が妊娠していると知った時は、ビョーキ女には慣れていた私もさすがに考え込んでしまった。
その日、私はいつもの池袋地区でなく北区赤羽のテレクラに出向いた。1年も同じテレクラに通っていると、前に会った女や常連女とあたる確率が多くなってしまう。そんなときテレクラの個室で読んだサラリーマン向け週刊誌で、都心からちょっと離れた団地妻の実態について特集していた。〈ダンチヅマ〉という言葉は私をアヤしい想像にかきたてた。近所付き合いのない寂しい女盛りの火照ったカラダ。洗濯掃除を終えた彼女たちは、ふと男が欲しくなり、街角でもらったテレクラのティッシュを取り出し、しばらく躊躇してから決心して電話のボタンを押す。昔の「大蔵映画」みたいに、お笑い草なのだが、私はそんな単純な想像が好きだった。
時間は午前10時ぴったり。まずはテレクラの場所を確認してから駅に戻り、周辺の銀行やファーストフード店など待ち合わせに都合のいい場所をチェックしてメモ用紙に簡単な地図をつくった。そして前日NTTの電話帳で調べたホテルの場所も確認した。駅から数分の場所にそれはあった。初めての町のテレクラではいつもそうしていた。池袋、新宿、渋谷、上野、大塚、巣鴨、日暮里など歓楽街の周辺だったらホテルに困ることはないが、ちょっと外れた町のときは苦労する。女のいうとおり女の居住地まででかけて会えたのはいいが、いざ口説けて「さあて」という段階にきてウロウロして時間切れになり失敗したことから、それ以降、ホテル街から遠くのアポは、相手が車で来るとか、確実にやらせそうな若い女であるとか、条件のいい場合のみ約束した。
経験からして、男を自分の居住地近くまで呼び寄せる女は概して横柄な女だった。
彼女たちにとってテレクラ男はタカリの対象にしか過ぎなかった。飯やカラオケを散々おごらさせて、いざ男が口説いても逃げる手段は持っていた。「地元なのにそんなことできませんよ」「知ってるひとに会ったらいけないでしょう?。大人だったらおわかりのはず」といわれて納得してすごすご返ってきたときの敗北感は忘れられない。たとえ「ではタクシーで」などと誘っても元々その気がない女たちだから、よけい感情はもつれてしまって疲れるばかりだ。
川越で会った自称32歳の女からはステーキを所望され「そのあとゆっくりできそう」と言われ、タクシーで10分ばかりいったステーキハウスで一人前2千円もするステーキ定食を喰われ、その後、近くのカラオケに誘われて3時間ばかり歌いまくられ、いざ誘うと「パパが帰ってくる時間だから」といって食い逃げされた時は交通費も含めて9070円をムダ遣いした。
車を持っている友達と行った新宿のテレクラで、ちょうど相手も二人組の若い主婦と繋がり、2時間以上かけて、八王子から北へ30分ほどいった山の中にあるファミレスまで行くと、それとおぼしき女二人が若い男二人と一緒にテーブルについていた。約束の時間には10分ほど遅れていた。服装や髪形からみて間違いない。私たちと約束をとったあと、別の近くのテレクラから男たちを呼び出したことは明白だった。