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テレクラ放浪記(1)-3 |
Date: 2003-04-07 (Mon) |
駅前の銀行で2万円を引き出し山手線にのった。
電車の中で寿司屋へ行こうと思いついた。
うまいラーメン屋は数軒知ってはいたが、初めて会う女性と行くわけにはいかない。そのくらいの常識はあった。
男と会う約束をしたのに来ない「スッポカシ」なるテレクラ業界用語も知らなかった私。必ず彼女はそこに来ると確信していた。
久しぶりの渋谷をすこしブラついたあと、約束の時間ぴったりに東急文化会館にある花屋の前に行くと、それらしき女性が立っていた。
それらしき、とは相手の女性は久美子という名で身長160センチ、ベージュのスーツを着ていること以外、細かいことは電話で確認していなかったからだ。しかもその女性はびっくりするくらいの美人で、とてもあんな怪しいところに電話をかけてくるような女性ではない。
マジマジと見つめるわけにはいかないので、チラッと一瞥しただけだが、飛行機事故で亡くなった九ちゃんの奥さん、柏木由紀子に似ている。身長が160センチくらいでベージュのスーツを着ている女性はたくさんいる。
そう思って私は彼女から少し離れたバス停の前に立ち、タバコを吸った。
そのベージュのスーツを着た女性と目が合った。
すると彼女は私の前にきて私の名前を言った。私は慌ててしまった。
「えーと、そのう。そうです」とか言ったのだろう。
「さっき電話で話した人ですか」と聞くと、「久美子です。声をかけてくれないので」と笑った。
私は何を話していいのかわからないほどアガっていた。とりあえず寿司だ。以前に何回か喰ったことのある寿司屋を思い出し、とっさに「道玄坂に行きますか?」と私はいった。
「どうげんざか、ってどちらですか」と彼女は私に聞いた。
茶色の瞳がきれいだ。渋谷で落ち合ったくせに道玄坂を知らないのもおかしな話だが、そのことを聞く余裕はなかったそんなことよりも、この女性と街を歩くのかと思うと何も考えられなかった。
しかしなぜこんな美人の人妻が俺なんかと会うのだ。それも食事だけするのに彼女の恰好はまるでディナーにいくようなしゃれたスタイルだ。いわゆるシャネルタイプのスーツにそれとはっきりわかるエルメスのスカーフ。それに真紅にちかいヴィトンのバッグ。これは当時の日本では珍しかった。
以前百貨店に勤めていたころの経験からしても、かなりの上客である。髪は柔らかいレイヤードでほのかな香水の匂いがする。私はのぼせた。
ハチ公前の交差点まで特に話もせず並んで歩いた。私の足取りはギクシャクしていたが、信号待ちで立ち止まった時には私は少し落ちついていた。
「知ってる人に会ったら、まずくありません?」と聞いてみた。
「東京には知り合いはいませんから」と彼女ははっきりといった。ということは夫の転勤かなにかで引っ越してきたばかりなのだろうと想像した。
「札幌から来たばかりなんです。ごめんなさい、わからなくて」と謝った。
それは私にとって都合がよかった。これから行く予定の寿司屋は百軒店の入り口を入ってすぐのところにあり、すぐ先にはヌード劇場がある。そしてその奥は昔の花街で、今ではラブホテルとかホテトルの事務所などの入ったマンションがあり、渋谷の裏街を知っている女性と行くには昼間とはいえ気が引ける。
道玄坂をあがる途中、何人かの男は彼女の全身と私の顔を意識的に見ていた。
サラリーマンのころ、いい歳した男が昼間から若い女を連れて街を歩いているのをみると、どうせホテトルかキャバレーの姉チャンだろうと軽蔑しながらも羨ましく思えた。ざま見ろ、失業していても女には不自由してないぞ、といった晴れがましい意識で彼らを見返した。
寿司屋は一組のカップルと数人のサラリーマンだけで、私と彼女は板前に案内されてカウンターに並んだ。
若い職人が彼女を客としてだけでなく、それ以上の関心で見ているのがわかった。
気分が高揚しているせいか、私は同意を得るまでもなくビールと普段は食べない2千円くらいの握りを注文した。ビールを私のグラスにつぐ彼女の手は白く、長い指は上品だった。
裕福な家庭で育ったに違いないと思った。
百貨店に勤めていたころ、客の値踏み、つまり良質の顧客かどうかを判断する方法として、女性の場合は衣服やアクセサリー、化粧をより髪の手入れと手そのもの、できれば歯も観察するようにと教わった。
化粧、衣服ではごまかせても、たとえ一流のブランド品で身を包んでいても、髪と手の状態を見ればその女性の生活レベルがわかるというのだ。
生活レベルが落ちると、まず最初に怠るのが髪の手入れらしい。それに歯を大事にすることは自己管理がしっかりしている、という理論だ。それは正しかった。
店員の些細なミスにヒステリーのごとく怒鳴りちらす女性客はどこか全体的にアンバランスだった。一流のクレジットカードを使い、なお1回払いですませる女性の手は年齢に関係なく上品だった。
男性の場合は靴とネクタイが重要で、その見分け方については専門職から細かく勉強したものだ。
私の推測は間違っていなかった。
とりあえず自己紹介をし、話題が彼女の地元である札幌の話題になったとき、札幌の名門、F女子大の出身であることがわかった。それに実家はサラリーマン家庭でなく、父親はある企業のオーナーであることさえしゃべった。
大学を卒業してすぐ、学生時代にゴルフコンペで知り合った東京に本社をもつ商社マンと結婚して8年。夫の本社転勤のため東京に来たのが2ヵ月前という。
彼女の趣味はクラッシックバレエの鑑賞で、学生時代、東京で海外からの有名なバレエ団の公園がある時は、飛行機を使って日帰りで往復していたという。
父親が厳しくて外泊を認めてくれなかったの、と笑っていた。
ビールのせいか、彼女はよく口がまわった。
それにつられて私はつい「お子さんは?」と聞いた。彼女は答えなかった。
私は話題をそらし、ボリショイバレエの話や学生時代に行った札幌オリンピック、余市のウイスキー工場、小樽の寿司屋の話などを大げさに話したが、あまりのってこなかった。
寿司を食べおわったころ「子供ができないの」と彼女は小さな声でいった。
急に生々しい話をされ、なんと答えていいか迷った。
彼女とその夫がセックスしているシーンを想像して思わず唾を飲み込んだ。
これがスナックのママでもあったら「どんどんやりまくってホルモンを流して妊娠しやすい体質にすればできるよ。なんなら手伝ってもいいよ」とでも冗談めかしていえる。
だが、結果論からいうとそんな冗談はいわなくて正解だった。
私は肝臓薬をもらいにいっていた会社の近くの医院の待合室で読んだ女性週刊誌の記事を思い出した。
たしか不妊症の女性のグループのルポで、お互いの悩みを話すことでポジティブに生きる女たち。というような趣旨だった。その話をすると「そんなところあるんですか。私も行ってみたい」と目を大きくしていった。
私は「ちょっと待ってね」といって外へ出て公衆電話のボックスを探した。
104で聞いたその週刊誌の編集部に電話して、記事にでていた不妊症のグループのことについてお聞きしたい、というと、運のいいことに担当者が在席していて、そのグループの連絡先を教えてくれた。
店に戻りそのことを話すと大喜びで「さすが東京ね」といって私の手を握った。
手を握られたことも感激だったが、サラリーマンを辞めて初めてした「仕事」が役に立ったことのほうがうれしかった。
寿司屋をでると彼女は公衆電話ボックスに入り10分ほど話していた。出てきてすぐ、それまでに見せたことのない笑顔で「すごい親切な人がでて、ついおしゃべりしちゃってごめんなさい」といった。
彼女の秘密を共有した満足感とでもいえようか。さらに感謝されたことで彼女に対して親近感が生まれた。
偶然に繋がった電話で知り合い、1時間ほどしかたっていないのに、以前からこの女性のことを知っているような錯覚があった。
気をよくした私はなにかプレゼントをしようと寿司屋の斜め前にある輸入雑貨店に久美子を案内した。
渋谷に勤務していたころ、キャバレーの女の子に香水をプレゼントする時よくつかっていた店で、以前は新宿などにもよくあったレトロな雰囲気の小間物屋といった風情で気に入っていた。私はそのころ流行っていたディオールのディオリシモというオードトワレの小瓶を買い、彼女にプレゼントした。「今日の記念に」と渡すと素直にうけとってくれた。ヘンに拒否したりせず自然に喜ぶところがスマートな感じで気持ちがよかった。
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