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  テレクラ放浪記(11)-2 Date: 2004-01-12 (Mon) 
 〈ワガママ〉いう点では私も一歩もひけをとらない。神国ニッポンが初めて経験する〈戦後〉の民主主義を担う新しい世代として期待をかけられながら育った私は両親に甘やかされていた。なにせベビーブーマー。少しでも他人より優れていなければ受験にも就職にも結婚にも落ちるといわれていた時代。オモチャにしても服にしても「○○チャンも持っている」と言えば、親は無理してでも買ってくれた。「参考書を買うから」と言えば五百円札をくれたのは東京オリンピック前後の話しだった。そのほとんどはビートルズのドーナツ盤レコードに消えた。飽きると友達にあげた。それは今でも続いている。カメラは20台くらい買ったが、その殆どは衝動買いでクレジット。新型が発売されるとそれを下取りに出して、また新型がでると、を繰り返した。

 同じ女とセックスできるのも3回までだ。それ以上になると勃起しなくなる。いつか行けばいいや、と思いながらもめんどうで、最近どうにも痛みがとれなくなってから歯医者に通い始めた。

 それは歯にとどまらず、サラリーマン時代は、至急処理しなければならない用件を後回しにしてトラブルになり上司から叱責を受けたことは数知れない。栄養学的には肉好きで野菜嫌い。内弁慶で我がままな性格は直らない。私は身長163センチ、体重71キロ、ウエスト1メートル。全ハゲの小男でこせこせと歩き、女を見る視線はスケベ一色である。靴のサイズは24.5センチで手袋は女性用の21センチで極めてバランスの悪い男である。ワガママで飽きっぽく、そして自己管理できない性質。女性を口説く力も金も気力もなく、てっとり早く適当な女で性欲を満たそうとする怠け者。そしてテレクラの出現。なるべくして私はテレクラ男になった。

風俗体験取材 末森ケン 悦子と知り合ったのは店舗型テレクラでなく自宅テレクラのツーショットだった。

 男としても女としても最終的には会えることを目的としたコミュニケーションだから対象となる男女が全国に散らばっていては不都合なので、ツーショット業者は地域別にツーショットを展開しているのが普通である。私が通っているテレクラチェーンでは東京23区、多摩地区、埼玉地区、千葉地区に分けてツーショットを展開していた。都心のテレクラは金がらみが多いうえに女の質もいいとはいえない、という原則はテレクラ勃興期から先輩たちから聞いていて、それはあたっていた。私の住まいは東京でも西のはずれなので多摩地区でも北部であればそれほど時間はかからない。そんな理由もあってあるテレクラ店のスタッフから薦められた東京多摩版のツーショットを試そうとプリペイドカードを購入した。

 悦子と繋がったのはやりはじめて2日目の朝10時ころだった。

 通常テレクラでも最初に女は相手の歳を聞いてくるのだが彼女は私の年齢を聞こうともせず「どこに住んでるの?」と言った。

 私は正直に答えた。

 間があって「今日はどんな人探しているの?」という。ツーショにかけてくる女は即デートより、話友達になってからの場合が多いと聞いていたので私は「どんな人が電話かけてくるかと思って」と柔らかく答えた。

「会えないの?」と彼女は言った。
「びっくりしたあ?。ちょっとわけがあるの」といって続きを話しはじめた。

風俗体験取材 末森ケン 彼女は占いが好きで、ちょうど昨日買った女性誌の占いのコーナーに「東北の方角に住む男性に助けてもらいなさい」とあったので以前から数回したことのあるツーショットにかけたのだという。彼女の住んでいる吉祥寺からみるとここは東北の方角だ。

 ということは何か悩みでもあるのか、と思ったが気にはしなかった。悩み事相談は言い訳に過ぎない場合もあるからである。が、最初に繋がったのが私で、彼女は「どうか、東北の方角の男性でありますように」と祈ったそうだ。こんな話も珍しい。いくら占い好きといってもそこまで信じるものなのか。

 いや、それを装ったデブの欲求不満女かもしれない。「だけど私ってかなり年上だと思うけど」と引いて言うと「歳じゃないのよ、それって私のこと気に入らないの?」と弱い声でいった。

「そんなつもりじゃないけど、どんな人だかわかんないし」とぶっきらぼうを装って聞くと「身長は155センチくらいで、ヤセ型で、美人じゃないけどかわいいっていわれる。彼氏はいなくて、おつきあいできるひと探してんの」と立て続けに彼女は答えた。

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