■
テレクラ放浪記(3)-4 |
Date: 2003-05-12 (Mon) |
その9月の後半2週間で5回同じテレクラへ行き、11人の女と会い、6人とホテルへ行った。
28歳から41歳までの主婦3人。30代の未亡人。21歳の専門学校生。年齢不明のフリーター。
女の質は別として出会い密度の濃さでは一番の絶頂期だった。
10月から11月にかけて私は失業給付金を資金に池袋新宿渋谷のテレクラを荒らした。若くて好みであれば援助交際にもすすんで応じた。相変わらずタカリや食い逃げにもあったが、それはそれで楽しかった。
つくづく男はバカであることを学んだ。
あまりにも頻繁にテレクラへ通っていたので、その時期はめんどうくさくて記録はつけていなかった。
即マン主婦4.5人と援助女子高生や、酒や食事のお返しセックスのOLやフリーター、専門校学生など。合計で10人くらいだろうか。むろん会えた女即ホテルというわけではなく、私のお腹や頭をみて、さっと逃げ出す女や、あまりにも醜くてこちらが逃げてくる女も珍しくなかった。つごう50人くらいとは会った。
その年の12月16日、私は事件に巻き込まれた。
といってもその翌年に起こったテレクラ強盗のたぐいではなく、売春詐欺にあっただけのことなのだが、精神的被害は甚大だった。渋谷のテレクラで会った二人組の女子高生に、私と彼女たちの三人でホテルへ行く約束で7万円ほどの服飾品を買ってあげたところ、彼女たちが約束を守らず、結局だまされたという次第。
その日、今は営業していないが道玄坂のあるテレクラにいた。
退職前になじみの飲み屋の店主に個人的に用立てした10数万円が戻り、さらに勤務していた頃から積立てていた短期の傷害保険が満期になり、その返戻金20万円と失業給付金約20万の合わせて50万以上の現金が手元にあった。40歳を越えた再就職は当時でも厳しかった。
ふつうだったら再就職活動資金として使うべきものだったが、金と職は天下のまわりものとばかり、私は考えることなく女に使おうと決心していた。だからといってフーゾクに使う気持ちはなかった。いってみればフーゾクはデパートのようなもの。規定の料金(定価)を払えば射精(品質)を保証してくれる。
これに対してテレクラはフリーマーケットで、射精どころか女性と会える保証もない。会えたとしてもとんでもなく不細工な女かもしれない。時間は費やすし金もかかる。しかし、運が良ければガラクタに混じって掘り出しものにあたる時がある。なんといっても出会いのストーリーがある。
コストパフォーマンスは最悪だったが、そんな「宝島」のようなところが好きになっていた。
午後4時ころか、私は女子高生からのコールを受けた。特に自己紹介もせず、いきなり「クリスマスのパーティに着てゆく服買ってえ。そしたら友達もいるから3人でホテルへいってもいいよ」と明るい声でいわれた。私はすぐその話にのった。
年は17歳で都内の葛飾区の私立だという。一人2万もあればいいだろう。財布には10万ちかくある。東急109(当時はマルキューの愛称はなかった)の4階に上がり、指定された階段近くの公衆電話の前にその子たちはいた。
紺色の制服にカバン。髪形も顔つきもふつうの女子高生にみえた。私が近づくと、ひとりの子が「来てくれたの、うれしい」といって私の腕をつかんだ。「はやくいこうよ。こっちだから」といって私は地下の売り場につれていかれた。どこから見てもふつうの女子高生だ。
正美(マサミ)は私と同じくらいの身長で十代特有の締まった体つき、顔は今はやりの茶色でなく化粧も薄くて好感がもてた。理美(サトミ)は百五十センチくらいでぽっちゃりとしていたが、太っているわけでもなく笑い顔が自然で、私は欲情していた。
[前のページへ]
[末森ケンTOPへ]
[次のページへ]
Copyright(c) 2003-2004 YABOU NO TEIKOKU All rights reserved.