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  テレクラ放浪記(5)-4 Date: 2003-06-11 (Wed) 
 私より5歳ばかり年下のD君から「職場の女性にいいコがいるけど、どうしたらいいか」と私に相談してきた。その20代半ばの女性はオフィスで彼に向かっていつも太股露な脚をこれみよがしに見せつけるという。カラオケで唄っている彼女の写真からみて美人とは言えないが若い男から結婚相手として意識されて当然の女性である。D君は浅黒い肌のうえ、私と同じく男として最悪のハゲである。外車を持っているわけでもなく、資産家の坊っちゃまでもなく、カラオケで女の声と男の声を素早く切り換える特技と人あたりの良さで、すぐ見知らぬ人でも仲良くできることだった。彼は自分に都合のいい夢を見ている。そういう意味では私と同じだった。ただ、現実の女の声を聞いてはいなかった。

 テレクラ女が女のすべてはないが、電話という性格上、彼女たちはストレートにものをいう。

「身長163センチでお腹が出ていて頭は薄い男です」と正直に言ってみると「信じられない。よく結婚できたわね。奥さんよっぽどブスでしょう」と平気で言う女も珍しくない。最初はガチャ切りしたり「このヤロ」と思っていたが、女の本心を聞くには最適な場所だと気がついてからは、煮えたくるはらわたとは別に取材者として女の話を聞くまでになっていた。

 そのころからテレクラ女は目先の利益、それも具体的な利益でしか動かない人間だと気がついた。それは快感という言葉に置き換えていい。大学生の頃、ゼミで隣にいた全学連系の女が、しきりに「女は快感原則で生きている」と言い切っていたことを思い出した。それが当てはまるのかどうかはわからなかったが、現実のテレクラ女には即応していた。

 そこまでいかなくとも、女は損をすることを最も嫌がる動物であることであることは母や妹の言動から何となく察知していた。それを理論的に解説していた新聞の記事を読んだ時は「これだ」と思った。

 そのコラムはある大学の助教授がアメリカの心理学者の提唱する「人間関係計量学」か「人間関係経済学」とでもいおうか、「相手との関係が不公平な時」人間は怒りや不満を感じる、という趣旨のもので、相手に使う労力や金銭を「コスト」とし、相手から受け取るモノを「報酬」とし、コストに対する報酬の割合を「利益率」として、それが等しい場合に公平だと思い、等しくないと不公平だと感じる、という理論だった。

 それを恋愛関係に置き換えて実験をした結果がでていて、自分の利益率が少々高い場合に相手との関係に満足している結果になったそうだ。反対に利益率が少なかったり、多すぎても不公平感があってが不満足だと結論していた。

 利益率が少ない場合はわかるが、利益率が多すぎても不満であるのは不思議だったが、いわゆる玉の輿には不安があるのだろうと私は感じた。

 だが、例外がある。テレクラ女は多すぎる利益を欲していた。こんな女に金を払ってまでセックスしたい男がいるのだろうか、と思うほど不細工な援交女を代表に、身の程知らずに相手の年齢や容貌にまで注文をつける女たちは、この世界では普通だった。

 「理論」に準じる女と「理論」を通り越した女たち。私の相手は「理論」を通り越した女たちだ。

 D君の心よせる相手の女性がD君とつきあってどんな利益があるのか、私はNOと言わざるを得なかった。が、彼は聞く耳をもたずにその女性に何気ないフリしたラブレターともつかない手紙を出した。誕生日にネックレスをあげた。進展はなかったようでD君はその女性の話をしなくなった。

 彼はその後も、デパートの女店員や長期出張の時の行きつけのパブのママに同じような行為をした。が、結果はなかった。

 よく「男の情熱にほだされて」口説かれたとか結婚したとかの話を聞く。それは嘘に決まっている。なにがしかの利益があったにちがいない。私の経験談でも「すごく真剣だったから」とか「断れない雰囲気だったから」と女に言われたことがままある。それらの本心、つまり私とベッドを共にして金品関係は別として何の利益があったのか。性的快感なのか、あるいは不安から逃れたいのか、はたまた、そのころ言われていたセックス依存症なのか、編集者からの指示でいちおう物書きらしく女ごとに分類はしているが、本当のことをいって今もって定かではない。

 私は心理学者でもなく、社会学者でもない。めんどくさいので、私なんかにでも体を開く女性たちをひとくくりにして「ビョーキ女」と勝手に呼称することにした。

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