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テレクラ放浪記(5)-6 |
Date: 2003-06-11 (Wed) |
彼女の話によると小田急線沿線のマンションに住んでるらしい。初めて会ったにもかかわらず、聞いてもいないのに「ヘンな女と思われるといけないので」と自らの環境を話しだした。
目白にある女子大を卒業後、大手のゼネコンに就職して秘書課に勤務。ある重役の専用秘書になる。就職したてのころある週刊誌に「美人秘書」として載ったことがあるという。12年前だったら私が不動産関係の会社にいたころだ。このゼネコンとも取引があった。しかし重役秘書だ。しかも美人。会ったとしても歯牙にもかけられなかったはずだ。
でも初めて会った俺になぜ身の上話をするんだろう。お見合いじゃあるまいし。
「あなたってすごく綺麗な目をしていらっしゃる。嘘をつけない人よ。それに、やましいお気持ちがないようですし」。別の女とやったあとだからですよ、っていったらどんな顔するかな。
店内のBGMでモーツアルトのクラリネットコンチェルトが始まった。聞き入っているようだ。「この曲私も好きなんです」というと「えっ、私も」と大きな目をさらに開いた。この目は誰かに似ている。そうだ三田佳子だ。
私たちはしばらく音楽談義に熱中した。
私が「この曲でカラ指揮やってる時が一番気分がいいですね」というと「なんですかそれ?」と顔を寄せてきた。
私の趣味というほどではないが、ステレオの前に立って曲に合わせて指揮棒をふる習慣がある。特に気が滅入った時などはウィンナワルツを振っているとニューイヤーコンサートの舞台の気になって気持ちがいい。
それをいうと「素敵な趣味ですわ」とにっこり笑った。その年の初めに池袋芸術劇場でニューイヤーコンサートがあり、中村紘子が弾いたチャイコフスキーのピアノコンチェルトがよかった、というと「それ、私も行きましたよ」と大声をだした。
その女は一時期、あの中村紘子にピアノを教わったこともあるという。中村といえば「国産のピアノを弾いている人とは話が合わない」と豪語するほどの完全主義者である。
この女、ただものじゃない。
彼女の話し方が早口になった。趣味の話に飢えていたのだ。
彼女の転機は秘書をしていた重役の妻が病死したことから始まる。
一周忌を過ぎたころ、彼女は50歳を超えたたその男に求婚される。27歳の時だ。彼女は抵抗なくそれを受け入れた。
彼の、以前からの妻を思う優しさにひかれたという。
厳格だった父への反動もあり、家族友人の反対を押し切って結婚。ファザコンなのかなと思った。男の息子はアメリカの大学に留学中だったことも彼女にとっては都合がいい。彼は新居にするためマンションを購入してくれ、結婚後は海外旅行、買い物、コンサートなんでも聞き入れてくれ、幸せだった、という。
「だった」ということは今は?。
「なんだか話し過ぎたみたい。また会って下さい」といって帰っていった。
脈はある。なぜなら「契約社員で週3日くらいは昼間に時間がとれます」と私が言ったとき、彼女の目が一瞬光ったように感じたからだ。それも女が発情した目だ。彼女は紙のコースターに自分の氏名を書いて私にくれた。 翌日、名簿図書館に詳しい友人に頼み、建設業の職員録で彼女の夫のことを調べてもらった。
はたして彼女の姓に該当する重役の名前があった。珍しい姓なのでたぶん間違いないだろう。自宅の電話番号もわかった。私は不動産会社に勤めていた頃の知り合いに電話し、彼女の夫のことをそれとなく聞いてみた。運よく彼は彼女の夫の会社と取引があるという。驚いたことに彼女の夫は次期副社長候補の筆頭であるという。
翌々日の午後、はたして彼女から電話があった。
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