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  テレクラ放浪記(8)-3 Date: 2003-07-23 (Wed) 
 ホテルの入り口にあった看板では5時過ぎは休憩で6千5百円となっている。
 中で飲み物をねだられたらどうしよう。が小銭入れには5百円玉と少々がはいっていたはずだ。池袋までたどりつければテレクラにいって事情を話して金を借りよう。余裕の気持ちもなくホテルに入った。
 その気持ちは部屋に入ってから吹き飛んだ。「お茶もごちそうになったし、遠くから来てくれたんだから。ホテル代は割り勘にしましょ」と女がいってくれたからだ。
 セックスはいいとも悪いともいえなかった。極めてオーソドックスにコトは運んだ。歳からいって未発達な体で、特に感激したサービスもない。私を誘ったわりにはあっさりと終った。今から思えば不感症だったのかもしれない。セックスの快感より、取材の使命を果たした気持ちのほうが強かった。

末森ケン 翌々日I氏とは打ち合わせで会った。
 いつ撮られたのかと驚くほど、たしさんの私と女の写真と一緒にI氏が撮った女のヌード写真が出来上がっていた。
 私がゲットした女に比べるとI氏の女のほうが格段によかった。それにその女は貿易スクールに通っているという。それに比べて私の女は何の取り柄もない女だ。私はI氏の女の写真が掲載されるのかと思っていたが、今回は私が主人公なので主に私と女の写真を掲載するという。偉そうにテレクラのノウハウを語っておいて、あの女ではみっともない。私は「てきとうに別れてきましたよ」と嘘をいった。
 結局「テレクラ達人への道・天国と地獄編」と題してモノクロではあったが4ページの特集になり、テレクラ事情やテレクラでのゲットのノウハウと一緒に私の現場写真も掲載された。I氏の女の写真も小さく掲載されていた。私は、女とは再会の約束をして別れたと書いてあった。今から思えばノーテンキな記事だった。

 この記事にはさらにオマケがついた。
 あろうことか私を紹介する部分が実名になっていたのだ。私の姓名は珍しい。なにもなければいいと思っていた矢先に事件はおこった。
 当時つきあっていた女子高生のA子はその記事を学校で読んでいた。
 彼女とはその半年まえほどに西武線のHが丘にあったテレクラで知り合い、私は広告代理店の社員と偽っていた。彼女はそれ以後も私がゲットできた女子高生の例にもれず、父親不在の家庭だった。実際に父親はいたが石油関係の仕事で、年の半分ほどは中東にいっている、と話していた。
 丸顔のちゃめっけあるA子とは「卒業したら」という条件で、挨拶程度のキスだけで肉体関係はなかった。精神的にも肉体的にも大年増ともいうべきテレクラ女子高生以外知らなかった私にとってA子は宝物だった。A子は私の弁解にも耳をかさず「宝島を読んだの。だましていたのね。イヤらしいオヤジじゃん、これじゃあ」といって「もう、電話しないで」といって電話を切った。
 私は意を決して編集長でなく、その上司である局長あてに謝罪を求める内容証明書を差し出した。達筆かつ丁重な文体で謝罪の文書がきた。私はそれ以上する手だてもなく、一人の女を失ったくらいで、と思われるのもしゃくなので、納得することにした。

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