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テレクラ放浪記(9)-8 |
Date: 2004-01-06 (Tue) |
私はその主婦に会いにH電車に乗った。
ほとんど車内広告らしき物のない車両は、東京の悪趣味な電鉄会社とは比べられないほどスマートだった。
幼少時の原風景ともいえる場所に行けるだけでワクワクしていた。
彼女から教えられたとおりS駅でおりて、水のきれいな川沿いに海側へ歩いた。その道は途中、線路で遮断されているかのようだったが、教えられたとおり階段を川面に降りて進むと線路の対岸に上がることができた。増水したらどうなるのかと心配だった。そこからさらに進むと修理中の橋が見えた。
初めて目にした震災の跡だった。彼女の家はそこから10分ほど歩いた商店街の外れにあった。
チャイムを数回鳴らすと女の声がした。
さぞ小ぎれいで上品な主婦が、と期待したが小柄なふつうの人妻だった。これなら心配なさそうだと私は思い、招かれるままあがった。
私は出されたケーキを食べながら今回の仕事について趣旨説明をした。彼女は主婦でなく未亡人だった。夫は1年前に病死して、子供もなく独り暮らしだという。それなら資料としては主婦の範疇に入ると思い、夫の職業は会社員としておいた。
M子は淡々と私の質問に答えてくれた。途中部屋を出ていった彼女は10分ほどして戻ってきた。彼女は私の隣に移動してきた。香水の匂いがする。
M子は私が質問するごとに「おたくはどうなの?」と私に質問した。
Q「どんなときにセックスしたくなりますか?」A「男性の息の匂いを感じた時。おたくは?」。
Q「興味あるセックスは?」A「野性的なエッチ。道具はキラいよ。あなたはどんなの?」。
からかっているのか誘っているのかはわからなかったが、この一週間は取材優先のつもりだったので、知らん顔して質問をすすめた。が下半身は動きはじめていた。
30分ほどで終わり、急いで謝礼を置きソファから立った。
「まじめだこと。東京の人ってそうなん。この前の記者さんなんか、泊まっていったわよ」と、あるエロ系実話週刊誌の名をあげた。「すいません。仕事ですから」と辞退して外へ出た。
駅へ戻る途中、私は迷った。ここは大阪だ。取材途中に誘われて、つい出来心が、と釈明すればいい。だが、私は名刺を出している。ふつうのテレクラ女に限って、あとから騒いだり何をしでかすかわからない。だから私のようなフリーの立場のほうが出版社にとっては都合がいい。そんな話は同業の先輩から聞かされていた。だが、M子がただの欲求不満女だとしたら、喰うべきだろう。駅まで考えていて、駅北方面の散策どころではなくなった。私は電車に乗って梅田に戻った。
テレクラの個室に再度入るとPHSが着信した。
M子は「なんで帰ったん。いいことしてあげよ、って待ってたんから。明日でもいいよ」といった。
「すみません」とまたあやまり電話を切った。その日はM子の顔が頭から離れず、アンケート調査をしていても身が入らなかった。
午後7時、終了して昨日と同じ居酒屋に行って同じサカナでチューハイを飲んだ。ホテルのシャワールームで、M子としている場面を想像してオナニーした。
翌日は午前中は仕事をして、午後の新幹線で博多に移動する予定だったが、既に11人のアンケートが集まっていたので、次の取材地である博多へ移動することにした。
よく考えると大阪では女子高生と援交は一人もいなかった。新幹線で私は作戦を考えた。このままアンケート調査で終わるにはもったいない。九州の女は情が深いことは一般の定説だ。2度と来るチャンスはない。地元の女とやりたい。私はそんなことばかり考えていた。そして結論をだした。
東京からは千キロ以上離れているので編集者の目はない。仕事さえやればあとは自由だ。それを思うと車窓はどうでもよかった。
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