野望の帝国

風俗情報

フーゾク探検記(3)-2

Date: 2003-12-06 (Sat) 

 翌週から五反田通いが始まった。

 夕刻5時の終業ともなれば渋谷にあった会社から山手線に乗って五反田へ直行。それでも入り口には数人の客が並んでいた。
ここは自由指名制が売り物だった。前についた女を指名する必要もなく、何回行っても「フリーで」といえば本番のコをつけてくれた。元来新しモノ好きな俺にとっては好都合だった。しかもこの店は初めてピンサロを経験する新人のコが多かった。

 あとでわかったことだがこの店は東洋観光というチェーン店で、他に「ブルースカイ」など3店舗とピンクなしのキャバクラもあった。
ホステスから聞いた話によると、新人を集める方法は、まず女性週刊誌で「フロアレディ募集・マンションあり・日給1万円」と広告を出して地方から女を上京させ、上野、新宿、東京駅についた女に「タクシー代はもつから」と五反田まで来させて、ホステスとして通用する女であれば、最初にマンションに案内して女の気持ちを安心させる。
そしてまずはピンクなしの店に案内し「ここは日給1万。でも2万の店もある」といってピンクの店に案内。ほとんどの女は迷わずピンクを選ぶという。

風俗体験取材 末森ケン おかげで俺は新人の女を喰うことができた。
週2回、それが数カ月も続けばボーイやマネジャーとも顔なじみになる。
俺が新人好きな性格とみるや、ヘルプには必ず入ったばかりのコをつけてくれた。俺は店では上顧客だった。
指名なしの本番で入り、ついた3人のなかで気に入ったコで飲みなおし。それに回数よりもプレイじたいがソフトだったせいもある。俺はこの店をスナック兼キャバクラ兼ピンクサロンとして使っていた。
とりあえずビールを飲んで、気が入らなかったら3本も飲み帰る。射精したいほどでもない場合はキスしたり尻を触って帰る。むろん出したい時は思い切り出す。開店早々に入るから飲みなおしても8千円程度だからそれほどのことではない。
女がくるやペニスを出してフェラチオさせる客が多いなか、俺は女と話をして、つまりは女の境遇や身近な話題を聞いてからゆっくりとプレイするほうが好きである。
それは今でも続いていて、テレクラでも女の持つ〈物語〉に発情する。ピンクサービスが全く未経験の女にすぐナマフェラしろといっても無理である。そこへいくと軽いキスと手射精でもいい俺は新人相手には安全な客だ。
ということでいつのまにか俺はその店の〈新人教育係〉になってしまった。

 それは楽しかった。俺は昔も今も洗練された都会の女は不得手である。流行のレストランも知らないしトレンドな場所もわからない。車もないし音楽といえば1960年代の古いジャズかモーツアルトくらい。しかもLP。映画にはうといしテレビ嫌い。金があれば女に使っていつもピーピー。着ているものはフリマで買った超古着。身長163センチ、ウエスト40インチ、全ハゲ。話しにならない。優位性を保てるものは田舎娘だけだ。

 そんな田舎娘を教育するのは処女にあたった時のようで新鮮だった。

 鳥取から来たという19歳のヒトミは中でも教育しがいのある女だった。この女も「フロアレディ」に騙された女で、テキスタイルデザイナーを目指して上京し、学費と生活費を稼ぐため応募してきたのだった。

 たしか秋だった。「初めてなので何もできませんけど」と座った女は真っ黒な髪に化粧気のないニキビ顔。セーラー服でも着せたら田舎の学校の修学旅行ってところだ。しかし歯はキレイでキス好きの俺にはたまらない相手だった。
「いいよ、今日はキスだけで」「あまり経験ないんです」。軽く唇を合わせると震えていた。
「だめだめ、キスって舌でするんだよ」と舌を入れる。歯は閉じたままだ。歯茎に舌を這わせると「すみません」といって口を離した。しばらくは話をしていた。

 ボーイがやってきて女を連れていく。たぶん「もっとサービスしないと」と叱られているに違いない。それは知っていた。

 戻ってきた女は「失礼します」といってキスしてきた。歯をこじ開けて舌を入れると小さな舌をからめてきた。宿題を忘れた女子高生を居残りさせてキス教育をする教師。30分ばかりキスに専念して、次の女の口に射精した。数日たってヒトミを指名するとボーイがやってきて「尺八しないので、クビにしようか、って店長が言ってます。いいコですし教えてください」という。

 ヒトミがやってきて「お客さん、尺八教えてください」と甘えてきた。

「どうしたの?」「なんか不潔そうな人ばかりで。お客さんておしゃれでキレイ好きそうだから」。たしかにあまり上等な客層ではない。当時の俺は今より収入が多かった。デパート勤務時代に買ったダンヒルのスーツやエルメスのタイに4711のコロンをつけていた。ウエストは91センチで髪も半分ほどあった。田舎娘には都会の男に見られたのだ。

「尺八は好きな男にする儀式みたいなものなんだ。東京ではセックスする時はみんなするよ」というと「はあ」とわかったような顔をした。自分でジッパーを開けてペニスを出す。そして「軽く拭いて」と手を添えた。おしぼりで拭く作業はぎこちなかった。
「じゃあ、軽く先を舐めて」と指導したが、戸惑っているようすだった。俺は右手の人指し指をおしぼりで拭いて「これで練習して」と女の口へつけた。そして口の中へ入れて舐め方を教えた。

 すこしたってヒトミはフェラチオをしはじめた。力の入れ方や吸い方も、飲みなおした2回目の席ではどうにか感じるようになった。睾丸の裏も拭かせてタマ吸いの技術も教えた。目を閉じて一心不乱で舐めるヒトミの顔は美しかった。どんな女でも一生懸命にフェラチオをする女の顔は美しい。耐えきれずに射精すると、ヒトミは吐き出すでもなく飲み込んだ。初めてのフェラで精液を飲み込む女。

 聞くと「出されたんだから、つい飲んじゃった」と笑っていた。1ヵ月ほどして化粧も覚え、フェラの技術を習得したヒトミは売れっ子になった。

 そんな女に用はない。次々と入店してくる新人に同じようなパターンで指導した。数カ月もすると新人に指導するタイムは無料にしてくれ、飲みなおし料金だけ請求された。

風俗体験取材 末森ケン  3年ほどしてあるマネージャーが独立して「ジャルパック」というサロンを近くに出店した。女のコは各国の名前で、俺が贔屓にしていたのは「フランス」という二十歳の女だった。新規の店なので内装もソファも綺麗で音楽も適度。ラブソファなのでゆったりとサービスを受けられることができ、すぐに常連になった。

 フランス嬢はやや痩せていて美人である。むろん素人で入店。昼間は銀座のデパートの店員、夜は五反田勤め。歯も手も脚も乳も尻もまばゆいばかりのいいコだった。しかし彼女は指名が少なかった。ナマフェラはNGだったからだ。俺はゆとりをもって彼女に接した。数回はキスと手出しで通った。それだけで満足なほどキレイな女だった。しかし店は甘くない。いつものとおり指名するとフランス嬢はいう。

「クビになりそうなんです。尺八を教えて」。シメシメ待っていた甲斐がある。「クビ」という言葉が俺を燃えさせた。わざと拭きもしないペニスをいきなり舐めさせる。それも頭を押さえつけてさせた。目をつむって舐める女。昼間は気取って歩いている女に強姦同然にフェラさせるS的気分はよかった。「出るまで舐めていて」というと頭を「コクン」とした。

 ボーイが店内巡回を装って席の横にくる。俺は彼と目を合わせて合図する。ボーイはOKのサインをした。俺の左手は尻をなで、そして中指を女の肛門に入れた。女は耐えていた。腰を押し出すようにした俺は女の口深くに射精する。指を女の口の中に入れると精液が感じられた。それを押し込むと女は飲んだ。彼女も売れっ子になり俺は指名をやめた。

 同じチェーン店の「ブルースカイ」に入ったユウコという二十歳の女子大生は腎盂炎を患っていた。何回か通ったころ、俺の同僚の兄で大学病院で泌尿器科の医師をしているS氏を紹介した。S氏からは、本人が思っていたほど重篤でなく通院だけで治るという報告を受けた。尿道が短くて、なお細菌感染しやすい体質らしい。男の指入れは必須の店である。そのことをいってしばらくして彼女はやめた。

 少したって連絡があり渋谷でデートした。昼間みる彼女の肌は白かった。オムレツを食べてフランス映画を見てブラブラ歩いていると午後4時になった。「体は大事にしなくちゃ」というと「ありがと、そんなこと言ってくれた人初めて」と手を握られる。「寒いね」とふと女が言った。「あったかいとこ行こうよ」と誘うと「うん」とうなづいた。

 小柄で小さな唇。何回もキスしたのにホテルでしたキスは初めてのような感じがした。風呂に入っても彼女は下腹を隠していた。腎盂炎と関係があるのか、と思い詮索はしなかった。ベッドでもそれは同じだった。フェラしてほしかったが「それじゃ、お店みたい。もっと優しくして」というだけだった。冷たい体だった。だが、ペッティングを始めると顔を赤くして感じていた。膣は狭かった。

 ローションを塗って半分くらい入れると苦痛の表情をする。結局挿入はできず、手で射精した。「できないのよ、アタシの体って」と言っていた。すぐに電話も不通になりそれきりになった。

 五反田通いは約10年続いた。店外デートでセックスした女は30人くらいか、それも1.2回の逢瀬で終わった。
 サラリーマンを辞めてテレクラ探検人になってから五反田に足を運んだのは10回くらいか。相変わらず5時には行列ができていて盛況である。が、会社帰りならともかく、そのために練馬から五反田まで出かけるのはおっくうだ。それにテレクラでは昼間のセックスが中心になり、夕方になると性欲は衰える体質になった。

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